別名 苅谷原城、鷹巣根城
刈谷原城の詳細は不明ですが、海野氏の一族である刈谷原五郎幸棟によって築かれた城だと伝わっています。その後、刈谷原氏にかわって小笠原長時の家臣で太田道灌の一族ともされる太田長門守資忠が城主をつとめましたが、1553年(天文22年)に武田信玄の侵攻により落城しました。信玄は今福石見守友清を城主としましたが、武田氏滅亡、さらには「本能寺の変」後の混乱に乗じて小笠原貞慶がこの地を奪回して赤沢式部少輔を城代としました。しかし赤沢氏が謀反を企てたため切腹させられると、小笠原頼貞が入り、1590年(天正18年)に貞慶が讃岐に移封となった頃に廃城になったと思われます。現在城址には土塁や堀切などの遺構がわずかに残っています。なお武田勢が攻め落とした苅谷原城は近くの荒神尾城とする説もあります。
刈谷原城に関するデータ 情報の追加や修正
896.6 m( 200 m)
内郭:-- 外郭:--
刈谷原幸棟
1590年(天正18年)
刈谷原氏、太田資忠、武田氏、赤沢氏、小笠原頼貞
曲輪、土塁、堀切、切岸
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 896.6 m( 200 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 刈谷原幸棟 |
築城開始・完了年 | |
廃城年 | 1590年(天正18年) |
主な改修者 | |
主な城主 | 刈谷原氏、太田資忠、武田氏、赤沢氏、小笠原頼貞 |
遺構 | 曲輪、土塁、堀切、切岸 |
指定文化財 | |
復元状況 |
更新日:2024/04/20 03:52:35
刈谷原城へのアクセス情報 情報の追加や修正
刈谷原トンネル手前の林道入口に駐車スペースあり
項目 | データ |
---|---|
アクセス(電車) |
|
アクセス(クルマ) |
|
駐車場 | 刈谷原トンネル手前の林道入口に駐車スペースあり |
じっさいに訪問した方の正確な情報をお待ちしています。
あなたが泊まったホテルのレビューをお願いします!(レビューはホテルの詳細ページから投稿できます)
刈谷原城について参考になると思われるインターネット上の情報へのリンクです。すべて別ウィンドウが開いて表示されます。
まだトピックがありません(情報募集中)
まだ本城登録している団員がいません
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する