この境内の辺りは、石畑宗信という武将の城跡でした。石畑の地名がこの武将からきたことが分かります。宗信は源平合戦の屋島の戦いで扇の的を射止め、弓の名人として名高い那須与一の次男でした。宗信は、この辺りを支配していた佐々木氏(観音寺城・安土町)の旗頭で、この石畑と木部(野洲郡)の領地を治めていました。八幡神社は、宗信が1239年(平安時代後期)に京都の岩清水八幡宮の応神天皇の分身を奉り建立しました。また、近くの称名寺は、宗信が晩年になって親鸞上人の弟子となり出家して1258年に建立したものです。この寺の住職さんはそれ以来、那須の姓を名のっています。(豊郷町HPより)
攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する