お寺の山門の前の小さな石柱に「八町城跡」の文字が刻まれています。また、境内に入るとすぐ右手に自然石に彫られた「赤田隼人正」の碑が見えます。八町城は赤田家が越後(新潟県)より現在の多賀町の木曽に住みその後、八町に佐々木氏に従って居城しました。城はこの常禅寺と近くの白山神社の一帯にあったと伝わります。常禅寺は、室町時代後期嵯峨天皇系列の赤田隼人正源隆が61歳に出家し創建し、後、曹洞宗となった禅寺です。以来、赤田家とその家臣がお守りしてきました。 寺内には、鎌倉期の安阿弥作と伝わる十一面観音さまがおられます。幼い顔の中にも理知的な顔だちは神童をおもわせるような姿です。そのほか、赤田父子の絵像や嵯峨天皇から拝領の書状が残っています。赤田氏は高野瀬氏と同じく佐々木氏の武将でしたが、赤田姓氏の時は湖北の浅井長政の武将として佐々木六角氏と戦いました。また八町と甲良周辺の農民のために水利(赤田井)をつくり、橋をかけ、道をつくり領民から親父のように親しまれていました。(豊郷町HPより)
素敵な意匠です。
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