当時はここからも敵を狙い撃ちしていたそうです。なぜ北出丸の別名が「皆殺し丸」と呼ばれていたのかが、ここに来ると解ります。
写真中央付近の門跡の石垣の形を見ると北出丸が鶴ヶ城最大の防御の要だったのが解ります。
定番の位置ですね
こちら側にはあまり人が来ないようですが、美しい水堀が広がっています。
鶴ヶ城会館横にあります。現在の赤瓦(茜瓦)は新潟県の阿賀野市で製造されている雪国向け瓦で評価が高い安田瓦が使われています。 鶴ヶ城の建立当時~平成22年までは黒瓦でした。しかし冬の凍害に脆かった為、弁柄釉薬(釉薬に酸化鉄を混ぜたもの)を用いて含水性を低くすることに成功し、その時に誕生したのが赤瓦(茜瓦)で、その後、東北地方の城にて広く採用されたそうです。 ちなみに私はこの黒瓦時代の鶴ヶ城に初めて「城」に行った初めての場所でもあります。
当時はここからも敵を狙い撃ちしていたそうです。なぜ北出丸の別名が「皆殺し丸」と呼ばれていたのかが、ここに来ると解ります。 写真中央付近の門跡の石垣の形を見ると北出丸が鶴ヶ城最大の防御の要だったのが解ります。
見事な石垣です。
こちら側は三の丸の虎口以外は石垣が使われておりません。見ての通りこの付近だけ水が無く空堀になっています。(案内板にも水が書かれておりません)
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