城址とは関係ないですが近くに後藤又兵衛生存説の一つである「後藤又兵衛屋敷跡」がありました。
後藤又兵衛ゆかりの本郷の又兵衛桜
当区の字道辺寺にある薬師寺の境内に、大阪冬の陣大阪夏の陣で活躍した豪傑、後藤又兵衛の墓がある。
周囲に玉垣がめぐらされ、石碑には「法泉院量嶽安壽居士」と彫られている。
一六一五年(元和元年)五月八日、大阪夏の陣で豊臣方は敗退したが、又兵衛は再挙兵の希望を捨て難く、城中より逃れ落ちた。
紀州を廻って知人を頼り大和宇陀の当地へ来て、本郷の鉱泉で傷を癒し、豊臣家の再興を待ったが、世は徳川の天下となったので、又兵衛は僧になり「後藤」の姓を一時「水貝」と改めて生活していたと伝えられている。
当地には、後藤の姓を名乗る家が数軒あり、この又兵衛ゆかりの枝垂れ桜が残っている場所も、後藤家の屋敷跡である。
また、本郷鉱泉を利用した又兵衛ゆかりの湯として、近くに県立老人休養ホーム椿寿荘宇陀寮の本郷温泉がある。(案内板より)
城址とは関係ないですが近くに後藤又兵衛生存説の一つである「後藤又兵衛屋敷跡」がありました。 後藤又兵衛ゆかりの本郷の又兵衛桜 当区の字道辺寺にある薬師寺の境内に、大阪冬の陣大阪夏の陣で活躍した豪傑、後藤又兵衛の墓がある。 周囲に玉垣がめぐらされ、石碑には「法泉院量嶽安壽居士」と彫られている。 一六一五年(元和元年)五月八日、大阪夏の陣で豊臣方は敗退したが、又兵衛は再挙兵の希望を捨て難く、城中より逃れ落ちた。 紀州を廻って知人を頼り大和宇陀の当地へ来て、本郷の鉱泉で傷を癒し、豊臣家の再興を待ったが、世は徳川の天下となったので、又兵衛は僧になり「後藤」の姓を一時「水貝」と改めて生活していたと伝えられている。 当地には、後藤の姓を名乗る家が数軒あり、この又兵衛ゆかりの枝垂れ桜が残っている場所も、後藤家の屋敷跡である。 また、本郷鉱泉を利用した又兵衛ゆかりの湯として、近くに県立老人休養ホーム椿寿荘宇陀寮の本郷温泉がある。(案内板より)
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おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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