鎌倉時代にこの地に居館を構え、1213年の和田合戦で戦死した矢部義兼の供養碑と言われています。
1303年に遺族や旧臣たちが追善供養として建てたそうです。
矢部駅北口から矢部城跡に向かう途中、バス停「薬師堂」の先に案内板があります。気を付けないと見過ごしてしまいます。 ここから、写真奥に150m程進んだ「上矢部交差点」に土塁が残っています。
鎌倉時代にこの地に居館を構え、1213年の和田合戦で戦死した矢部義兼の供養碑と言われています。 1303年に遺族や旧臣たちが追善供養として建てたそうです。
矢部氏居館の裏鬼門にあたり、土塁からは150m程南(矢部駅から向かうと土塁の手間)にあります。 バス停「薬師堂」のあるバス通りは、写真の本堂裏側です。
上矢部交差点東側、解説板があります。 高さは約3m、長さ約30mの土塁です。 遺構はこれだけですが、鎌倉時代の居館の土塁がここだけでも残っていると思えば、有り難いような、もう少し残っていればと惜しいような…
案内板によると、土塁西側(写真左側)に居館があり、土塁外側(写真右側)に箱薬研形の堀があったそうです。 案内板には、発掘調査で明らかになった堀の写真が載っています。
西側から撮影。 車の車高と比べると土塁の高さ(約3m)が分かると思います。
矢部氏居館の鬼門にあたります。矢部義兼により建久年間(1190~1199年)に歓請されました。 土塁からは北に約200m。 居館南端の薬師堂、西端にあたる土塁跡、北端の御嶽神社と歩くと、往時の居館の規模が実感できます。
攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する