太平記ゆかりの地 足利尊氏滞在の長屋氏屋敷跡 文和二年( 一三五三年)六月十三日北朝の後光厳天皇は南朝軍に京都を奪われ、足利義詮らと共に垂井へ避難され、一時、垂井の長者長屋氏の屋敷を仮御所にされた。 その頃、原、峰屋らの南朝軍がここを襲うと聞き、急いで美濃国守護土岐頼康の居城で揖斐小島の頓宮へ移られた。 後光厳天皇は、八月二十五日足利尊氏の西上を聞き、頼康の造営した垂井頓宮へ戻られた。九月三日尊氏の大軍 、尊氏の大軍が垂井に到達し、尊氏は直ちに天皇に拝謁、天皇を安堵させた。 尊氏の垂井での宿舍は、垂井の長者長屋氏の屋敷で、後光厳天皇の仮御所になった所である。その後、尊氏はここで病気になり、天皇の京都への還幸は遅れた。十七日尊氏の病気もなおり、天皇を中程にし、義詮が先陣、尊氏が後陣の隊列をつくり、垂井頓宮を後に京都へ出発された。
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おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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