櫓台跡と云われる与一堂の脇にあります。
境内の中で唯一の「真田城」が出てくる案内板だと思います。
⚫源頼朝の伊豆挙兵の折り、石橋山で討死した眞田與一義忠公の居城で、死後その菩提を弔うために天徳寺が造立された旨が書かれています。
天徳寺南側、正門前の道路(撮影ポイント)が堀だったそうです。 門をくぐり左側に与一堂が建っています。この高台が櫓台跡だそうです。
遺構の中で一番の見所だと思います。 縄張り図と見比べると、左側の整地された土の部分は腰郭で当時は家屋の辺りまでありましたが、道路開設の為に少し左側が削られています。 家屋のあたりから左側に当時は堀があったと思われます。
櫓台跡と云われる与一堂の脇にあります。 境内の中で唯一の「真田城」が出てくる案内板だと思います。 ⚫源頼朝の伊豆挙兵の折り、石橋山で討死した眞田與一義忠公の居城で、死後その菩提を弔うために天徳寺が造立された旨が書かれています。
右奥の与一堂が建っている高台が櫓台跡、木々が繁っいるところには切岸が残っています。 与一公園になっている場所は堀跡と思われます。
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