竹崎城は有馬隆泰によって築かれた城です。隆泰は懐良親王に味方して、足利方の鎮西探題・今川了俊の大軍を籠城戦で退けています。有明海に浮かぶ竹崎島にあり、山城と水城との性格をあわせもつ珍しい縄張りとなっています。戦国時代には有馬氏と龍造寺で争奪されており、「沖田畷の戦い」では島津氏によって攻め落とされています。その後は龍造寺氏、鍋島氏の城として改修、維持されていましたが「島原の乱」のあと破却されました。現在城址は「竹崎城址展望公園」として整備されており、天守を模した展望台からは有明海を眼下に見渡すことができます。また春にはサクラが、秋にはコスモスが観賞できます。
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三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。
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