尾関山城は比熊山城の支城として三吉氏によって築かれた城です。家臣の上里越後守守光が城主をつとめていました。その後、「関ケ原の戦い」の戦功により安芸に入封した福島正則は重臣である尾関石見守正勝を城主とし、以降この尾関氏にちなんで尾関山と呼ばれるようになりました。福島氏改易後は浅野長晟が入封し、1632年(寛永9年)に長晟が亡くなり嫡男の浅野光晟が家督を継ぐと、長晟の庶長子であった浅野因幡守長治が5万石が分知され三次藩を立藩しています。現在城址は「尾関山公園」として整備されており、曲輪跡と一部石垣を確認することができます。また公園入口には長治の三女で、「忠臣蔵」で有名な赤穂藩主・浅野内匠頭長矩の正室となった阿久里姫(瑤泉院)の像が建てられています。
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おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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