飯詰城は大浦為信の津軽統一に最後まで抵抗した朝日佐衛門尉行安の居城として知られています。朝日氏は代々、浪岡城主・北畠氏に仕えており、津軽平野内陸部と十三湊を結ぶ交通の要所に築かれた城でした。1578年(天正6年)に大浦為信が浪岡城を北畠顕村から奪ったあとも、行安は10年間にわたって抵抗をつづけましたが、1588年(天正16年)についに落城すると、朝日氏は滅亡し、為信の津軽統一も完成しました。現在城址は果樹園となっており、土塁や堀などの遺構を確認できます。また西曲輪に高楯城史料館「あすなろの家」が建てられていますが、中に入ることはできません。
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58.8 m( 20 m)
内郭:-- 外郭:--
1976年(昭和51年)、天守を模した高楯城史料館「あすなろの家」が西曲輪に建築されたが、現在は使われていない。
藤原景房
着工 1344年(興国5年/康永3年)
朝日氏
曲輪、土塁、空堀
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 連郭式 |
縄張形態 | 平山城 |
標高(比高) | 58.8 m( 20 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
天守縄張、天守形式 | |
天守の階数 | |
天守の種類 | 模擬天守 天守の分類 |
天守の高さ | |
天守台石垣の高さ | |
天守の広さ(延床面積) | |
天守メモ | 1976年(昭和51年)、天守を模した高楯城史料館「あすなろの家」が西曲輪に建築されたが、現在は使われていない。 |
築城主 | 藤原景房 |
築城開始・完了年 | 着工 1344年(興国5年/康永3年) |
廃城年 | |
主な改修者 | |
主な城主 | 朝日氏 |
遺構 | 曲輪、土塁、空堀 |
指定文化財 | |
復元状況 |
更新日:2024/03/29 03:45:22
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 |
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