津屋城
津屋城

[岐阜県][美濃] 岐阜県海津市南濃町津屋2017


  • 平均評価:★★☆☆☆ 2.13(--位)
  • 見学時間:18分(--位)
  • 攻城人数:87(1474位)

城址碑と案内板

城址碑と案内板
弥一左衛門 弥一左衛門
   

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津屋城跡
 津屋城は、関ヶ原合戦まで高木八郎左衛門正家が居城していたが、慶長五年(一六〇〇)関ヶ原 合戦の時、石田三成方(西軍)に従ったため没落し廃城となった。八郎左衛門正家は記録によれば、高須城主高木十郎左衛門の縁者であり、十郎左衛門は高須旧記によると文禄元年~慶長五年八月(一五九二~一六〇〇)まで高須城主に在り豊臣秀吉の旗下と伝えられる。
 現在は、慶長八年(一六〇三)に当時の領主 徳永法印寿昌(高須城主)の許しを得て移された本慶寺となっている。寺を中心とした付近一帯が城跡で、主郭部は境内にあるが付近は道路が通じた住宅が建ち、全容を明らかにすることはできない。
 主郭は内堀と土塁に囲まれた区画内で、西北隅の一画(離屋敷地)が一の曲輪、それより一段低い平地(本堂 庫裡敷地)が二の曲輪で南側内堀の外側に三の曲輪(畑地)があり大手門があったと考察される。堀は主郭を囲む内堀と、三の曲輪を内側とした外堀の二重堀で、西高東低の傾斜地のため、南·西·北の三方は空堀で東側は水堀とし、ことに外堀東側は津屋川を中心とした池沼となっている。
主郭の西側に屋敷、北側に西曲輪·台所曲輪が配され、東側虎口に一段低く大手曲輪があり、さらにその下段に屋敷、馬場などが川岬に配置されていたようである。
 津屋城跡は、北勢地方に多く見られる「北勢四十八家衆」の城と、城地条件・縄張形式がまったく相似しており、歴史的連繋がうかがわれる。岐阜県では、希な中世平城遺構で、貴重な文化財といえる。
                           海津市教育委員会

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ワイド&パノラマ 鳥瞰・復元イラスト 日本の城

2022年3月に増刷と聞き予約して購入。帯に「在りし日の城の姿!」とある。初版同様、100城全126点。精密な鳥瞰・復元イラストには構造としての城だけでなく、人々の営みも書き込まれているものも多くて気に入ってます。人々が関わってこその城だと思うので。
石垣山城は天守台建設中で人々が土木工事をしてるし、杉山城では堀に渡された木橋を人が通ってます。亀居城に舟入があったことはこの本で知りました。伏見城のページには在りし日の巨椋池が広がっています。城が躍動していた頃の姿を眺めてうっとりするのはロマンと言うのかな。出版社はワン・パブリッシング。

山鳩さん)

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