青木城は因島村上氏6代、村上新蔵人吉充の居城です。「第一次木津川口の戦い」では織田方の水軍を壊滅させ、石山本願寺に兵糧を搬入することに成功したことで知られる吉充は、1567年(永禄10年)に余崎城からこの城へ居城を移しています。三原瀬戸、布刈瀬戸、備後灘を押さえ、さらに三原城の前面に位置する実戦的な水軍城でした。現在城址には本丸跡に龍王神社が祀られ、案内板が建てられています。また五段重なった曲輪がよく残っており、武者走りも確認できます。
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攻城団の勉強会で話題となった江戸時代に書かれた日記関係の書籍を読んでみたくなり、図書館のホームページで検索した所、何度か読んだことのある山本博文先生が書かれた「江戸お留守居役の日記◆寛永期の萩藩邸◆」が抽出されたので読んでみることにしました。内容は萩藩の江戸留守居役である福間彦右衛門によって寛永期に書かれた日記が元になっています。この本を読むまでは、江戸屋敷に常駐している藩士は自由に江戸の町で行動出来ると思っていましたが、実際はかなり制限されており、不自由な生活を余儀なくされていた事を知りました。そのような過酷な環境の中で藩士が起こした不始末や幕府から出された命令を、留守居役の彦右衛門が町奉行、旗本と相談しながら解決していく様が描かれています。なお、屋敷外での勤務、藩邸周辺の警備にあたる辻番所は近代の交番のルーツだそうです。当時の江戸屋敷の武士、町民の生活が垣間見られた一冊です。
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