神浦城はのちに神浦氏を称することとなる大串小次郎俊長によって築かれた城です。1566年(永禄9年)に神浦正俊は大村純忠に叛いて後藤貴明に味方したため、純忠の軍勢に攻められ江串浦で討死し、神浦氏は滅亡しました。その後、純忠は家臣の福田左京亮に命じて破却させたと伝わっています。現在城址は「神浦城公園」となっているものの遺構はほぼ消滅しており、公園内に城址碑が建てられているのみです。また近くにある光照寺は神浦氏の菩提寺です。
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「日本史の知識をアップデートするための勉強会」にて榎本先生から紹介もあり、読んでみることにしました。幕末から明治初期に渡り、加賀藩の御算用者であった猪山信之、直之、成之3代に渡り残された家計簿その他の書簡・日記から、その当時の武士の経済状態や考えが良く解る内容となっています。猪山家が困窮する家計を如何に立て直したか、また幕末から明治にかけて時代が変わる中で猪山成之がどのように考え行動していったかが、そして当時の士族が時代の流れの中でどのようになっていったのかの一端を垣間見ることが出来ました。この本が原作となった2010年公開の映画「武士の家計簿」の中で、原作では娘の髪結に際にお金がなく絵に描いた鯛を用いたエピソードが、長男の着袴の際のエピソードとして描かれておりましたが、映画の方も楽しく鑑賞させて頂きました。
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