仁宇城(小仁宇城)は湯浅対馬守兼朝の居城として知られています。兼朝は当初、桑野城主・東条関之兵衛とともに長宗我部元親に対抗したが、その勢力が強まったために講和を結び、姻戚関係を結びました。その後、羽柴秀吉による四国平定後に蜂須賀家政が阿波に入封すると、土豪としての特権を否定された仁宇谷衆は仁宇伊豆守を中心に蜂起しました(仁宇谷一揆)。この一揆は山田八郎右衛門宗重によって鎮圧され、宗重は戦功により家政から仁宇城を与えられました。しかしその数年後に宗重は仁宇山城に移ったため廃城となりました。現在城址に遺構はなく、空き地に「阿波九城仁宇城阯」と書かれた城址碑があります。
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「日本史の知識をアップデートするための勉強会」にて榎本先生から紹介もあり、読んでみることにしました。幕末から明治初期に渡り、加賀藩の御算用者であった猪山信之、直之、成之3代に渡り残された家計簿その他の書簡・日記から、その当時の武士の経済状態や考えが良く解る内容となっています。猪山家が困窮する家計を如何に立て直したか、また幕末から明治にかけて時代が変わる中で猪山成之がどのように考え行動していったかが、そして当時の士族が時代の流れの中でどのようになっていったのかの一端を垣間見ることが出来ました。この本が原作となった2010年公開の映画「武士の家計簿」の中で、原作では娘の髪結に際にお金がなく絵に描いた鯛を用いたエピソードが、長男の着袴の際のエピソードとして描かれておりましたが、映画の方も楽しく鑑賞させて頂きました。
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