お知らせ 詳細
この地は城の鶉口(城内からの非常脱出口)に当たるところで、尾張藩はここに同心屋敷を置き、譜代の同心を住まわせていた。彼らは御側組(おそばぐみ)と称し、表向きは藩主の側近として仕えていたが、万一非常の場合は、藩主を護衛して木曽路に脱出させるという極秘の使命が課せられていた。
組員は十八名に限られ、世襲であって、世間との交渉はなかった。
藩主の側近であったため高度の教養を積み、文武に優れた逸材が多かった。
こちらを進んでいくと正門があります。 右側の建物は名古屋能楽堂です。
名鉄瀬戸線東大手駅の裏側の空堀です。
裏側から撮影しました。
この地は城の鶉口(城内からの非常脱出口)に当たるところで、尾張藩はここに同心屋敷を置き、譜代の同心を住まわせていた。彼らは御側組(おそばぐみ)と称し、表向きは藩主の側近として仕えていたが、万一非常の場合は、藩主を護衛して木曽路に脱出させるという極秘の使命が課せられていた。 組員は十八名に限られ、世襲であって、世間との交渉はなかった。 藩主の側近であったため高度の教養を積み、文武に優れた逸材が多かった。
名前の由来は1700年の大火の後、幅員が4間(約7m)に整備されたからだそうです。 堀川側には土蔵、反対側には町家が並んでいます。 現在は土蔵や町家を生かした店舗がたくさんあり、町歩きも楽しいですよ❗
正門前にある歩道橋から撮影しました。
熊本の清正公の像もカッコいいですが、こちらもカッコいいですね❗
分かりにくいですが、左側の樹木に金シャチがチラチラしてます。
水堀の広さが分かる様に撮影してみましたが、どうでしょうか?
こちらからの天守の姿はあまり観たことがないので新鮮でした❗
この付近には昔、五つの城門があり東門に相当するのが東大手門だったそうです。 この付近の複雑な道路(清水橋は三つもあります)のこと等々詳しく解説されています。
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おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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