立派な城阯碑と案内板があり、綺麗に整備されていました。
弘仁2年(811)嵯峨天皇の勅願により弘法大師が創建した真言宗の古刹です。文化財が豊富で「美濃の正倉院」とも呼ばれています。
北方城主だった安東守就は、甲斐の武田氏との内通の嫌疑をかけられ追放されていました。天正10年(1582)に本能寺の変で織田信長が討たれると、北方城を奪還しようと挙兵しますが、稲葉一鉄と戦いこの地で戦死したそうです。
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おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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