湯川神社(湯川子安神社)は湯川中学校の南にある神社で、湯川氏の平時の城館である小松原館の一角に位置します。
言い伝えによると、湯川氏が館の一隅に明神社を祀っていたのが始まりで、16世紀後半ごろ、湯川直春が姫の安産を浅間神社(静岡県富士宮市)に祈願し、その御分霊を亀山城中に勧請し、明神社と合祀して祀ったとされます。
秀吉の紀州攻めの後、亀山城にあった神社を現在の位置に移し、子安大明神として再興したのが、現在の湯川神社の始まりです。
また湯川神社は小松原館の南東にあった池泉庭園の一部であったとされます。
小松原館は、紀央館高校と湯川中学校の敷地にまたがっており、室町第(花の御所)を模した各地の守護館に匹敵する規模であったことがわかっています。
庭園の北側から、土師器皿や輸入陶磁器などが大量に出土し、その場所には儀式や饗応を行った主殿や会所が存在したと考えられます。さらに堀や池からは、焼けた瓦や建築部材、焼土が多量に出土し、天正13年(1585年)の秀吉の紀州攻めに係る火災で焼失したと考えられます。
それ以後の遺物が出土していないことから、この時小松原館も廃絶したものと推定されます。
現在は、神社前の池と池の中島であった神社地に、庭園の名残を残すのみとなっており、かつての広大さを想像することは困難です。
社殿の脇にある樹齢1000年とも言われるクスノキだけが、すべてを見てきたのかもしれません。
![湯川神社(湯川子安神社)鳥居と石碑[亀山城]](https://img.kojodan.com/photo/417313.jpg)
黒まめ![小松原館の庭園の池跡[亀山城]](https://img.kojodan.com/photo/417309.jpg)
![湯川神社(湯川子安神社)[亀山城]](https://img.kojodan.com/photo/417311.jpg)
