薬師寺の仁王さん
船江の薬師寺で知られる利生山延命院薬師寺は天台宗で『勢陽雑集』によると文中年間(一三七三~七四)「後鳥羽天皇草期本尊行基薬師如来と作なり、左右毘沙門開勝力ニ天ならびに十二神勝を安置する仁王は運慶が彫った」と書かれています。
ところが現存する仁王は運慶の作でないことがわかりました。しかし本堂は承応11年(一六五三)八月建立のものといわれ昭和二十七年、市の文化財に指定されました。
ところで、この薬師寺は、戦国時代、大河内城を攻めあぐねた信長が和睦の条件に二男信雄を北畠家の養子にします。(永禄十二年-一五六九のこと)その時信雄が預けられたのがこの薬師寺で、義父にあたる北畠信意と対面の式を行ったのもこの薬師寺でした。(案内板より)
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