黒田時代、天守相当の建物がここにあったのだろうか。雰囲気はある。
定番の位置より。 西日が強く、ちょっと時間帯が悪かったかな。
黒田、細川時代の継ぎ目が見られる石垣と天守。
黒田時代のもの。直方体の一辺がL字に削られている。
加工された石を用いてます。
ゆるやかに湾曲している。それにより崩れにくくする技法「輪どり」が見られる。
中津城の西南隅に位置する西門は、大手門と同じ「櫓門」型と思われる。 豊前街道の発着所「小倉口」に一番近い西門は、堀の幅を広くとり、その奥に三方を大石で囲った「桝形」をもつ「搦手門」である。武器や道具類が収めてあったこの櫓門は、明治二年(一八六九)十月、焼失した。(案内板より)
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おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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