黒田時代、天守相当の建物がここにあったのだろうか。雰囲気はある。
定番の位置より。 西日が強く、ちょっと時間帯が悪かったかな。
黒田、細川時代の継ぎ目が見られる石垣と天守。
黒田時代のもの。直方体の一辺がL字に削られている。
加工された石を用いてます。
ゆるやかに湾曲している。それにより崩れにくくする技法「輪どり」が見られる。
中津城の西南隅に位置する西門は、大手門と同じ「櫓門」型と思われる。 豊前街道の発着所「小倉口」に一番近い西門は、堀の幅を広くとり、その奥に三方を大石で囲った「桝形」をもつ「搦手門」である。武器や道具類が収めてあったこの櫓門は、明治二年(一八六九)十月、焼失した。(案内板より)
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