唐津藩初代藩主寺澤志摩守広高は慶長七年(一六〇二)から七年をかけて唐津城をつくりました。このとき松浦川の河口を満島山(現唐津城一帯)東側につけ替え、二ノ丸と三ノ丸の間にあった旧川筋を堀に活用したといわれています(案内板より)
ちょうど干潮時で、水がありませんでした
松浦川に架かる橋上から
有料のエレベーターもありますが、石垣を楽しみながら登る
二の曲輪より
松浦川、東唐津の街並み、虹の松原、鏡山・・・
ぽっかりと浮かぶ高島の形が印象的
唐津藩初代藩主寺澤志摩守広高は慶長七年(一六〇二)から七年をかけて唐津城をつくりました。このとき松浦川の河口を満島山(現唐津城一帯)東側につけ替え、二ノ丸と三ノ丸の間にあった旧川筋を堀に活用したといわれています(案内板より) ちょうど干潮時で、水がありませんでした
早稲田佐賀中学校・高校は二ノ丸跡にあり、その北側の細道沿いには石垣が残っています
攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する