案内板にこう書かれています。「鏡池(かがみいけ) 登城する武士たちが、この池に身を写して身なりを整えたことから「鏡池」の名で呼ばれたという。」
右の土塁上に残る石積は明らかに加工されています。遺構というよりは新しい時代のもののようですが、用途は果たして何だったのか…?
「堀切」とされていますが、尾根を分断しているというよりは、普通に虎口のように見えます。
案内板には以下のように書かれています。 「お井戸(いど)跡 城内の飲料水(いんりょうすい)を供給(きょうきゅう)した井戸である。今なお清水(しみず)が湧(わ)き出ている。 大越城は城内から水が得られたため、篭城(ろうじょう)の時困ることがなかった。 下大越の朝霧城は水がなく、飲み水を確保するため一キロほど堀(ほり)を掘って引き水をしていた。そのため、敵方に毒(どく)を放(はな)たれたと言う。」
ここは構造上も尾根を断ち切った堀切かもしれません。通路を兼ねていたので虎口でもあったということではないでしょうか。
右手下の窪みは斜面を縦に分断しているので、竪堀といっていいと思います。
帯郭までの高低差は優に10メートル以上ありました。
右の巨石の上は主郭です。
「鳴神城」という別名は全国でもトップクラスのかっこよさですね。
左の移ヶ岳の手前が朝霧城址、中央が大平山、右が最上山。にわか雨のために煙っています。
堀切の右手を降りると三の郭です。ここも通路として利用されていますね。
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