西側土塁の西側。
ここからさらに散策路を進むと、馬の背道、武者溜りがあります。
諏訪神社の天神山城下城口にある案内板。内容は以下。 --- 天神山、裏天神山城跡案内図 この山城は、平成24年(2012)9月に各務原市在住の熊沢喜三郎氏によって発見され、地山名を採って「天神山城」、その上部に続く城跡を「裏天神山城」と命名した。この城は、鶴ケ城の支城として北東側の守りを固めるため天正2年(1574)に織田信長の命によって重臣の河尻秀隆が普請したものと思われ、武田氏の400mに及び、東からの攻撃に対して防備の様態を示している。造りは大胆なものではないが、山城としての機能を所々に備えている。天正10年(1582)3月の武田氏滅亡後に廃城となったと思われる。
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