矢田城は北条高広の重臣、石口広宗の居城です。広宗は1578年(天正6年)の「御館の乱」の際には、上杉景虎方に与した北条高広・景広父子が御館に入り、景勝方と対峙したため、北条氏の居城、北条城の城代をつとめていました。翌年の御館落城時に景広は討死し、北条城も開城しましたが、広宗はその忠臣ぶりを評価され許されており、その後、1582年(天正10年)の越中・魚津城での籠城戦で討ち死にしています。現在城址は本丸と帯曲輪部分が公園化されており、遊歩道が整備されています。本丸跡周辺には、堀切などの遺構が多数残っています。
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攻城団の勉強会で話題となった江戸時代に書かれた日記関係の書籍を読んでみたくなり、図書館のホームページで検索した所、何度か読んだことのある山本博文先生が書かれた「江戸お留守居役の日記◆寛永期の萩藩邸◆」が抽出されたので読んでみることにしました。内容は萩藩の江戸留守居役である福間彦右衛門によって寛永期に書かれた日記が元になっています。この本を読むまでは、江戸屋敷に常駐している藩士は自由に江戸の町で行動出来ると思っていましたが、実際はかなり制限されており、不自由な生活を余儀なくされていた事を知りました。そのような過酷な環境の中で藩士が起こした不始末や幕府から出された命令を、留守居役の彦右衛門が町奉行、旗本と相談しながら解決していく様が描かれています。なお、屋敷外での勤務、藩邸周辺の警備にあたる辻番所は近代の交番のルーツだそうです。当時の江戸屋敷の武士、町民の生活が垣間見られた一冊です。
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