三嶋神社内の由緒書きが字が薄くなって読めないのでここの案内板は貴重です。 ・現在の参道は小学校を迂回していたが、以前は真っ直ぐだった旨 ・1536年創建の三嶋神社は、神社の前にあった岡津館の守護神として信仰されてきた旨 が記されています。
R401沿いに架かる新鷹匠橋の少し小学校側の青い橋(鷹匠橋)が大手付近です。
江戸初期の代官頭 彦坂小刑部元正の代官屋敷跡です。 3m程周りより高くなっています。
写真は小学校の南東角の辺りで、腰郭があったと云われています。下の家と比べてもかなりの高低差があります。 写真右上のマンションが建っている丘には「玄蕃城」があったと伝えられているそうです。
小学校と神社の間にある土塁です。 しっかりと残っていますが、この時期は草が生い茂って隠れています。
三嶋神社側からの撮影。 高いところで約2m、長さ20m程の規模で残っています。
郭の名残りと云われる平場が3段になっているのが、写真からも分かります。
中学校の体育館やプールの辺りは櫓台跡と云われており、ニノ郭方面(写真左・中学校校庭)から北側に突き出ていました。 坂道は城道だったそうです。
テニスコートになっています。 右側の二ノ郭だった中学校よりも高台になっています。
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