発掘された石棺を覆う建屋があります。
碑文には、鷺沼源太ら下総諸将が北条氏康と戦って破れたとあります(国府台合戦?)。ウィキペディアによると、満義と光義を取り違えているのではないかとのこと。
画像左手の遊歩道脇の高みが、唯一の遺構です。
比高は目測で11〜12mといったところでしょうか。
低湿地だった遊歩道近辺よりも数十センチ高い場所にあり、舟入もしくは根古屋でもあったのでしょうか。
うず高い場所に立つ遊具の西面は、三日月堀の様な凹凸がありますが、間違いなく後世の改変です。主郭のある西側に向かって張り出しているのは、どう考えても不自然です。
台地の麓から台地上へは2つの階段で上がれますが 、その階段と階段の間には土塁の痕跡が見受けられます。画像右手の遊歩道脇の茂みが土塁です。
発掘された石棺を覆う建屋があります。
一周300m足らずの楕円形をした公園です。ここが主郭跡と考えられている様です。
城址であることには触れられていません。台地へ上がる階段(北側)の脇にあります。
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