岩崎城は和賀氏の城で、本城の二子城に次ぐ規模を誇る代表的な城でした。1590年(天正18年)の豊臣秀吉による奥州仕置で和賀氏の領地は取り上げられ、1592年(天正20年)には南部氏によって破却されましたが、「関ケ原の戦い」の混乱に乗じて和賀忠親らは岩崎城を奪取して、城に籠もって蜂起しました(この反乱には背後に伊達政宗がかかわっていたとされています)。しかし南部氏に鎮圧され、その後は伊達藩との境界警備のために修築され、家臣の柏山伊勢守明助が入城しました。現在城址には桝形虎口や高さ2mほどある土塁などが状態良く保存されています。また岩崎地区公民館が模擬天守として建てられていましたが、2011年(平成23年)に起きた東日本大震災の被害により取り壊され、2012年(平成24年)に「岩崎城址舞楽殿」として建てなおされました。
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100 m( 20 m)
内郭:-- 外郭:--
1974年(昭和49年)、前年建設された2階建ての公民館の上に、1億6千万円をかけて望楼風の展望台を増設した模擬天守「岩崎地区公民館」が建てられていたが、2011年(平成23年)3月11日に起きた震災被害により取り壊された。
和賀氏
着工 南北朝時代か
和賀氏、南部氏
和賀氏、岩崎氏、柏山明助(南部氏)
曲輪、土塁、空堀、屋敷跡
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 平山城 |
標高(比高) | 100 m( 20 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
天守メモ | 1974年(昭和49年)、前年建設された2階建ての公民館の上に、1億6千万円をかけて望楼風の展望台を増設した模擬天守「岩崎地区公民館」が建てられていたが、2011年(平成23年)3月11日に起きた震災被害により取り壊された。 |
築城主 | 和賀氏 |
築城開始・完了年 | 着工 南北朝時代か |
廃城年 | |
主な改修者 | 和賀氏、南部氏 |
主な城主 | 和賀氏、岩崎氏、柏山明助(南部氏) |
遺構 | 曲輪、土塁、空堀、屋敷跡 |
指定文化財 | |
復元状況 |
更新日:2024/03/19 03:40:25
岩崎城へのアクセス情報 情報の追加や修正
岩崎城運動公園駐車場
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | 岩崎城運動公園駐車場 |
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