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団長さんによる一説「戦のなくなった徳川政権の時代にこれほど大がかりな雁木が造られたのは、城郭装備を後水尾天皇の行幸時に披露したかったからではあるまいか?」も興味深いです。
こうして木々と一緒に少し離れて見ると、現代デザインに通じる趣があります。
ガイドツアーの直前にぶらりと歩いている時に、石材の所々で大胆な矢穴跡を見つけ、これにも歴史がありそうだと直感で近づくと、説明板がありました。 植栽の奥には、東大手門の金色装飾と瓦がチラリ。写っていませんが、説明板の手前側の数ヶ所にベンチがあります。
文字起こし 【石垣に刻まれた史跡二条城の歴史】 この辺りの石垣は、二条城築城に伴って慶長8年(1603)年頃に築かれたもので、昭和14年(1939年)11月30日に二条城とともに国の史跡に指定されています。 東側の石垣とは積み方が全く異なることが一目見て判ることでしょう。 堀川に架かる二条橋の北側には「是ヨリ北紀州」と読める銘文が石に刻まれていることから、 慶長5年(1600)から元和5年(1619)まで紀州国を治めた紀州浅野家が北の石垣普請を担当したと考えられています。 その他、21箇所の刻印が発見されています。それらの刻印は、工事に関わった大名たちが受持分の石材が集石場や輸送の途中で分散したり紛失したりすることを防ぐために目印として刻んだもので、今風に言えば製品タグと考えられています。これらが見つかる範囲は夷川橋の北から二条橋の南までで、刻印は切り出した石の表面をさほど加工せずに彫り込まれているため、見過ごして通り過ぎてしまうものが多く、石の隙間を覗き込んでやっと見つけられるものもあります。 京都市
団長さんによる一説「戦のなくなった徳川政権の時代にこれほど大がかりな雁木が造られたのは、城郭装備を後水尾天皇の行幸時に披露したかったからではあるまいか?」も興味深いです。 こうして木々と一緒に少し離れて見ると、現代デザインに通じる趣があります。
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