山頂の模擬天守の名称が「小牧市歴史館」から「小牧山歴史館」に変更されています。
案内板のある史跡公園南口の土塁の開口部は後の改変によるものです。
「この部分の拡大模型です」は別の主郭の模型の事です。
小牧山城 主郭周辺石垣 推定復元模型 縮尺1/50 製作 平手 卓氏 小牧山城で実施されている発掘調査の成果に合わせて、随時更新しています。 (作業中はご迷惑をおかけしますが、御理解・ご協力をお願いいたします。)
市役所側から二重土塁を跨ぐように歩道が新設されていました。
二重の土塁の上にある曲輪です。
桜の馬場に設置されていた案内板です。
桜の馬場のものです
「ここから見える土塁と堀」の案内板があります。
大手道の左手にある曲輪です。
桜の馬場から大手道に入ったあたりから撮影。 本来の大手道は麓から写真中央の看板まで真っすぐ伸び、右折し、その後つづら折れで山頂主郭部まで続いていました。
大手道を麓から真っすぐ登ったあと、右折したところです。 この箇所は小牧長久手の戦い時に山側に(写真左)に土塁が設けられ、大手道もその時約1.6m盛土されていたことが発掘でわかったそうです。 盛土の下には信長時代(永禄期)の排水溝や土留の石積が検出されています。
主郭下に転がっています。
西側の石垣になります。他の場所に比べて大きな石が使われています。
石垣見学路にあります。現在見えているものは復元で実際の遺構は地中に保存されています。 写真上部にある玉石敷の上から流れて来る雨水をこの石枡に集め排水していたと考えられています。
石垣見学路にあります。現在見えているものは復元で実際の遺構は地中に保存されています。 写真上部にある玉石敷の上から流れて来る雨水をこの石枡に集め排水していたと考えられています。
石垣見学路にあります。現在見えているものは復元で実際の遺構は地中に保存されています。 玉石敷の上を流れて来る雨水を下にある石枡に集め排水していたと考えられています。
北側の石垣は2段目と3段目が良く残っていたそうです。
大手虎口枡形の正面には大きな石が一つだけ残っています。
徳川義親の銅像があった所ですが銅像は無くなっています。 小牧山は名古屋城の採石場にもなっており、この矢穴はその時のものだそうです。
昭和2年 (1927) に小牧山や岩崎山近辺で昭和天皇の統監の下行われた旧陸軍の特別大演習を記念して建てられたもので、主郭西側にあります。
岐阜城や犬山城が見えます。
小牧山城の城下町に奥には名古屋城も見えます。
展示物等、リニューアルされています。2階などの展示コーナーは撮影禁止です。
模擬天守のモデルは京都、西本願寺にある聚楽第の遺構とされる「飛雲閣」だそうです。
虎口に伴う石垣かもしれません。
日向と日陰で分かり難いですが。
虎口aの上にある曲輪で主郭地区の西端の曲輪にあたります。 虎口aより先は西側曲輪地区になります。
西側曲輪群の曲輪で虎口aの下にある曲輪です。
北側(搦手口)からの登城道で城のHPには搦手道コースとありますが、本来の搦手道ではなさそう。作業道として山頂まで幅広の道があり、急坂が苦手な人はこちらから攻めるのもありだと思います。
北側(搦手口)からの登城道で城のHPには搦手道コースとありますが、本来の搦手道ではなさそう。作業道として山頂まで幅広の道があり、急坂が苦手な人はこちらから攻めるのもありだと思います。
小牧山北駐車場近くの土塁の開口部から土塁の断面が見れます。
土塁断面の反対側に掲示されています。
曲輪番号の0番台が主郭地区 100番台が西側曲輪地区 200番台が大手曲輪地区 300番台が西側谷地区 400番台が帯曲輪地区のようです。
土塁断面の反対側に掲示されています。
「帯曲輪地区発掘調査の解説」と題された案内板がここと山北橋口付近にありますが、内容が異なっています。
手前が曲輪405-1aで木から先が曲輪404になります。虎口g(山北橋口)があります。
「帯曲輪地区発掘調査の解説」と題された案内板がここと北駐車場口付近にありますが、内容が異なっています。
空堀に架かる橋から撮影。 左側に土塁が続いています。奥には信長の居館跡と推定されている土塁で囲まれた曲輪402があります。
東側帯曲輪の土塁の上には遊歩道があります。
東側帯曲輪の土塁の上には遊歩道があります。
東側帯曲輪の土塁上にて
左側曲輪402は信長の居館跡と推定されています。
堀と土塁に囲まれ信長の居館跡と推定されています。
信長の居館跡と推定されています。
小牧山城の模型周囲にある案内板です。
小牧山城の模型周囲にある案内板です。
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おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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