たくさんの菩薩様や如来様がいらっしゃいました。
主郭内部は50m四方以上の広さがあり、南側と東側に土塁が残っています。西側と北側の土塁は削らてしまったのか、それとももともとなかったのでしょうか?
郷土博物館内で、八千代市郷土史書の付録を撮影させてもらいました。台地先端の北東部とは堀切で仕切られていますが、西側基部との仕切りが見当たりません。防御としてはとても心もとない。西への防御対策はどうだったんでしょう?
ここから右手に上がっていく道が堀切道で、北側の主郭と南側の二郭(貞福寺)とを仕切っています。
左手には、貞福寺へと上がる階段があります。
主郭南西隅の土塁下にひっそりと建っています。
開口部のある南西方面を撮影しました。
この開口部は堀切道に直結しており、後世の改変によるものと思われます。二郭のある貞福寺とは木橋のような架け橋がかかっていたと思われます。
櫓台跡と思しき土塁上には、小さなお社が建っていました。
二郭跡にある貞福寺。南側の急峻な坂道を上ったところから撮影。この坂道の東側には櫓台と思しき土塁がありましたが、当時の登城路だったのでしょうか?台地の西側、基部との間には土塁や堀の痕跡はありませんでした。
攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する