浜松城の古城曲輪跡であり、曳馬城の本郭跡。磯田道史先生によれば、三方原の戦い当時は、こちらが家康の本拠とのこと。
二人の天下人が関わるパワースポットと聞いて、しっかり訪問。
コンクリート製の天守。天守台の大きさからすると、3層4階の一回り大きな天守が存在していたとのこと。確かに天守台天端の方が広い。
浜松城の古城曲輪跡であり、曳馬城の本郭跡。磯田道史先生によれば、三方原の戦い当時は、こちらが家康の本拠とのこと。 二人の天下人が関わるパワースポットと聞いて、しっかり訪問。
天守にある蝋人形のブロンズ版。 よくみたら、噛み切った親指のギザギザの爪までちゃんと 再現されていた。撮り忘れたが、家康の特長ある手相、「枡かけ」まで刻んであった。こちらは天守の蝋人形の方が判りやすい。
東照宮境内にある豊臣秀吉の像。まだ百姓の少年だった頃に曳馬にやって来て、ここで松下嘉兵衛に雇われて、出世物語が始まる。 少年が栗を食べる姿が猿に似ていて、曳馬城でおこなわれていた宴会で大いにウケたのが採用の理由らしいから、人生ってわからない。
浜松城の大手門は、この国道152号線の真ん中辺りに有ったとのこと。 今はただ広い道路ですが、良く良く見ると、交差点に向こう側、連尺町方面とは結構な段差があって、その下は東海道と姫街道が交差しています。地形のの高低差、水堀を利用して防御を図り、しっかりと交通路を監視しているわけですね。。
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