ここが本丸ということは天守のある所は本丸ではないということなのでしょうか?
二段と言えるかどうかはわかりませんが、石垣の上に石垣があります。
この石を一人で城まで持ち運ぶのは相当大変だったでしょうね。
城内にあります。一体何の祠でしょうか?城築城時に無事に城が築かれることを祈って生き埋めにされた人の供養のための祠?この城に伝わる力石を山の上まで運んで亡くなった人の供養のための祠?いろいろ考えられますがみなさんはどう思われますか?
テレビやブログなどでも郡上八幡城を紹介する際には絶対と言っていいほどこのアングルの写真を使いますよね。定番のアングルです。
この赤石山城という城は攻城団にも登録されていたと思いますが、私はまだ攻城していません。郡上八幡城に訪れた方はぜひ赤石山城も攻城してみてはいかがでしょうか?
本丸への入口となる門です。この日は観光客の方がたくさんいたので誰もいない門を撮影するのに苦労しました。
ここまで大きな山城を築くにはやはり工事が難航し、人柱を埋めて築城の成功を祈るのが当時のしきたりだったのでしょうが、今の私たちには人柱になった人の無念の気持ちを考えてしまい、悲しい気持ちになってしまいますよね。
天守の近くにありました。今でいう従業員の通用口のような役割を果たしていたのかな?
ここから模擬天守に入ります。こちらも正面の門同様、観光客の方が多くて誰もいない時の写真を撮るのに苦労しました。
名古屋方面の眺望だと思います。
西側の眺望だと思います。写真からは山内一豊と妻の銅像も確認できます。
石垣は当時の物だとおもいますが、塀は復元ですね。このように石垣だけでなく建物を復元するというのはとてもいいことだと思います。しかし郡上八幡城のすべての石垣の上に塀が復元されているわけではありません。石垣は石垣の良さを際立たせるようにあえて復元はせず、城の裏側に回ると塀などの建造物が復元されているという工夫は素晴らしいと思います。
主に天守の復元について書かれている案内板です。
この井戸で首を洗ったと考えると残酷ですが、当時は手柄を立てたと大喜びをしてこの井戸で首を洗っていたのでしょうね。
写真奥の高い石垣の上には櫓が建っていたんだと思います。かつては手前の石垣の上にも塀が立ち並んでいたと考えるとかなり攻め落としにくいお城だったかが分かりますね。
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