付櫓から天守には入れます。
松江城は内部の壁にも狭間があり天守への侵入を阻もうとしています。
天守から入り口である付櫓内を狙撃できるようにしてあります。
松江城のある亀田山はもともと宇賀山などと尾根続きの山でしたが、宇賀山を大規模に切り割り独立した山にしてしまいました。 その時の土砂は城下町造成のための埋め立て地に利用したそうです。写真の家が建ち並んでいるあたりがその掘削した場所のようです。
正面の建物は松江歴史館で家老屋敷跡に建っています。
大手門付近堀川めぐりの船着場付近から。
下駄箱の上にある板ですが、石打棚と言って、この棚の上から侵入者を攻撃すると言う仕掛けです。
こちらの柱に打ち付けられていたという祈祷札が発見され、書かれていた慶長十六という年により松江城天守が言伝え通り慶長16年完成したことが確定し、国宝認定の決め手になりました。
この棚の上にあがり、鉄砲で狙うというものです。
この軍扇は大阪冬の陣のとき、十四才で初陣した松平直政公の若武者ぶりを讃えて敵将真田幸村が授けたと伝えられるものである。
柱の外側に板を接ぎ合せて補強した柱です。 松江城の一階はこの寄木柱で補強された柱がほとんどです。
堀へ降りる階段がありました
松江歴史館から松江城天守
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