深さは7〜8mはあるでしょうね。幅はそれ以上あるかもしれません。降りたら容易に上がってからなさそうでしたので、堀底は断念しました。
説明板には『西側700mに木出城がある』とありますが、正しくは南南西700〜800mです。
かなりの巨木で、元和の頃の家康との逸話も残っているそうです。
山門とほぼ同じ高さの土塁。中世の単郭式城郭にしては、立派な造作です。
小さな祠が建っていました。櫓が建てられるほどの面積があります。この辺りから見た堀が、幅も深さも一番立派です。
深さは7〜8mはあるでしょうね。幅はそれ以上あるかもしれません。降りたら容易に上がってからなさそうでしたので、堀底は断念しました。
正面が福星寺山門。南(手前)に向かって参道が伸びて降り、山門は曲輪内に位置します。山門手前の両脇には高さ3m以上の土塁があり、西側の土塁上は面積もあり櫓などの施設があったのかもしれません。
現在の主郭への開口部・参道の東側に位置します。山門前の土塁は後世に削られた感があり、恐らく当時の虎口はこちら側だったと思われます。主郭を出て堀を土橋で渡ると、正面がうず高くなっており、蔀土塁だったのではないかと想像します。
主郭虎口と参道の間の土塁の上から、本堂と枝垂れ桜を撮影。画像は主郭内部西側部分で、ほぼ同じ面積が本堂東側にも広がっていました。70m四方といった広さでしょうか。
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