窪地=堀のアップ。堀の画像向かって右側は個人宅のお庭でした。この堀は南へ続いていたと思われますが、延長線上は植え込みになっており、個人宅と社域の境界線になっていました。
かなり低くなってしまっていますが、しっかりと痕跡が伺えます。ただ、西側と南側の土塁は、痕跡の確認も難しいです。
この裏手に土塁が残っています。
窪地=堀のアップ。堀の画像向かって右側は個人宅のお庭でした。この堀は南へ続いていたと思われますが、延長線上は植え込みになっており、個人宅と社域の境界線になっていました。
この社域が主郭だったと思われます。忍城同様、周りの地勢が低く、沼沢地に築かれた沼城だったと思われます。
画像では確認しづらいですが、うず高い部分が土塁の痕跡、その画像向かって右側の窪地が堀の痕跡です。沼沢地の堀ですので、恐らく水堀だったと思われます。
鳥居の南側の休耕地(水田かな?)。3〜40cmほどの段差があり、社殿東側のほりのうまりぐあいと、ほぼ一緒の高低差。恐らくこの幅の水堀があったと思われます。
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