鹿島神社北側の土塁の開口部はここだけ。おそらく当時の虎口だと思われますが、そうだとすると江戸崎古城図の曖昧さがより浮き彫りになってきますね。
浅野家が悪いわけではないんですね、当時天領のこの土地の実測なんてできないですからね。
土岐氏と稲荷神社は密接な関係にあるそうです。千葉氏と妙見神社の関係と一緒かな? この辺りはヤブ蚊が多いので、フード付きシャカジャケ・ロングパンツ・軍手・帽子の重装備で臨みましたσ^_^; まずは、お稲荷さんにご挨拶!
稲荷神社と土岐氏の関係や、その社史が刻まれています。 読めるかな……ってか、私が写り込んでましたわ!Σ(゚д゚lll)
山麓からの山道のため、土塁が寸断されていました。そして、高さもほぼ無くなりつつあります……。
南東隅の土塁よりはたかさがありますがか、ぼーっとしてると背の高い藪かと見落としそうです。
かなり立派な社殿です。この社の北側に、郭内からでも5mもあろうかという高い土塁がそびえ立っています。
瑞祥寺ではなく、瑞祥院でした! 間違えたぁ!
背後の羅漢山には、五百羅漢が居並んでいるそうです。私は登りませんでしたが……
民家があってびっくりしました。江戸崎高等学校の記念碑が建っていました。 この曲輪と本城の間には腰の高さほどの段差があります。当時はもう少し高低差があったんでしょうね。
明治の頃にできた山道だと思いますが、その石段ですら埋もれつつあります。ずーっと使ってないんだろうね。
ヤブ蚊だけではなく、鳥居にかかった蜘蛛の巣にもやられました!シャカジャケなんで、ひっついてもすぐ外せましたが。
土塁の脇にいた猫がこの坂を下って逃げて行きました。後世の改変かもしれませんが、あるいは往時の北側二の丸への虎口だったのかもしれません。 確かめにこの坂を下ることはしませんでしたが。
見晴らし山と言われた桜山二の丸。かつては2段あったということです。江戸崎古城図でも二の丸が中央で仕切られています。上段を桜山、下段を鹿島神社、と思っていましたが、ひょっとすると桜山部分だけで上下2段あったのかもしれませんね。 この鹿島神社とグランドの間には水堀があったそうで、戦後も水田として残っていたそうです。
鹿島神社北側の土塁の開口部はここだけ。おそらく当時の虎口だと思われますが、そうだとすると江戸崎古城図の曖昧さがより浮き彫りになってきますね。 浅野家が悪いわけではないんですね、当時天領のこの土地の実測なんてできないですからね。
この道ですが、個人的にはかつての堀跡だと考えます。この画像の左手・瑞祥寺門前にはひょうたん池があり、水堀を彷彿とさせられます。 江戸崎古城図に、瑞祥寺前に堀はないので私の想像図にも書き入れませんでした。
羅漢山から南へ伸びる尾根上にあるお堂には参拝しました。
見晴らしも良く、ヤブ蚊も蜘蛛の巣も少ないこの場所から、四方を見渡すのも実に気持ちが良いものです! 画像中央の土塁状の小道を登っていくと羅漢山に上がれます。
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