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「おんな城主」のバッジを公開しました(戦国時代の女城主一覧)

大河ドラマ「おんな城主 直虎」の主人公・井伊直虎など、戦国時代には城主になったとされる女性が何人かいますので、彼女たちが城主をつとめたお城をまとめてバッジにしました。

そこで、今回バッジとして登録した城の、おんな城主の方々を紹介します。

戦国時代のおんな城主

おつやの方

いちばん有名なのは「おつやの方(岩村御前)」でしょうか。
織田信長の叔母である彼女は夫・遠山景任が死去したため、岩村城の城主になりました。ふたりの間には子どもがいなかったため、信長の五男坊丸(のちの織田勝長)を養嗣子としましたが、幼年であったことから当主となっています。
その後、1572年(元亀3年)に開始された武田信玄の西上作戦において、おつやの方は敵将である秋山虎繁(秋山信友)と婚姻して武田氏に寝返っています。岩村城は武田氏の城となり、虎繁が城主となりましたが、1575年(天正3年)の「長篠の戦い」で勝利した信長は、織田信忠に命じて岩村城を攻めさせ、おつやの方は捕らえられて処刑されました。

立花誾千代

立花誾千代も有名ですね。
戸次鑑連(戸次道雪、立花道雪)のひとり娘である誾千代は1575年(天正3年)、7歳のときに家督を譲られて立花山城(立花城)の城主になっています。(夫の急死などの理由ではなく)主家である大友宗麟の許しを得た、正式な手続きによる家督相続で、城主となったのは誾千代くらいでしょう。
そして1581年(天正9年)、高橋紹運の長男である統虎(宗茂)を道雪の養嗣子に迎え、妻となりました。統虎と誾千代は夫婦仲が良かったとも悪かったとも伝わっていますが、別居していたことと子どもがいなかったことから不和であったというイメージがついてしまったようです。

清心尼

盛岡藩初代藩主・南部利直の姪で、八戸直政の妻となった清心尼は、1614年(慶長19年)に夫が南部藩の使者として越後高田の松平忠輝のもとへ訪問した際に急死したため、家督を継ぎ根城の城主となっています。本家の利直もこれを承諾しました。
この時点では尼ではありませんでしたが、利直が自分に都合のいい男子を婿に取らせて八戸氏を意のままに操ろうと目論んでいたことを察して、それを防ぐために(つまり結婚できなくするために)出家しています。
その後、利直に自領である田名部領3000石を奪われ、さらに遠野・横田城(鍋倉城)への移封を命じられると家臣は怒り、謀反も辞さない空気となったようですが、お家断絶を防ぐために耐えるよう説得したそうです。なお新田家から22代当主として養子に入った八戸直義盛岡城に常駐していたため、遠野に移ってからも実質的には清心尼が治めていたようです。

お田鶴の方

引馬城主・飯尾連龍の妻である「お田鶴の方(椿姫)」は今川義元の姪っ子です。
「おんな城主 直虎」ではあっさり描かれただけでしたが、お田鶴の方(椿姫)は1563年(永禄6年)に井伊直虎の曽祖父である井伊直平を毒殺したとされる人物でもあります(諸説あり)。
その後、連龍が今川氏真に謀殺されると城主となりましたが、1568年(永禄11年)12月には徳川家康の攻撃により落城し、討ち死にしています。

阿南の方

伊達輝宗の姉であり、伊達政宗の叔母でもある「阿南の方(阿南姫、大乗院)」も、須賀川城主・二階堂盛義に嫁いだのち、夫や子の相次ぐ死去にともない城主となりました。
1581年(天正9年)に盛義が病死したとき、嫡男の平四郎は蘆名家の人質から養子となり蘆名盛隆となっていたため、次男の行親が8代目当主となりましたが、翌年13歳で死去してしまったため、阿南の方が当主の座についています。
その後、伊達氏の家督を譲られた政宗により蘆名攻めが開始されると、阿南の方は実家である伊達氏と敵対することを選びます。「摺上原の戦い」で蘆名氏が滅亡したあとも再三降伏勧告を受けるもこれを断り、須賀川城は攻められ落城しました。なお阿南の方はこのとき救出されており、甥の岩城常隆を頼り、さらに甥の佐竹義宣を頼って生き延びましたが、1602年(慶長7年)に佐竹氏が転封となった出羽に向かう途中で病死しています。

足利氏姫

第5代古河公方・足利義氏の娘である足利氏姫も嫡男で弟の梅千代王丸が早世したために、家督を継ぐことになっています。
当時、古河公方は北条氏直に臣従しており、また氏姫の母親が北条氏康の娘(浄光院)であったこともあり、北条氏としても氏姫を後継者として古河城主に擁立するメリットがあったということになります。
その後、豊臣秀吉によって長年敵対していた小弓公方・足利義明の孫である足利国朝と結婚させられることになり、国朝が病死すると、国朝の弟である喜連川頼氏と再婚させられるなど、数奇な運命をたどることになりました。

井伊直虎

大河ドラマ「おんな城主 直虎」の主人公・井伊直虎の生涯については以前、記事にまとめましたが、彼女は夫との死別ではなく、かつての許嫁である23代当主・井伊直親が今川義元に忙殺されたため、当主となります。このとき正式には虎松(のちの井伊直政)が24代当主だったため、直虎はあくまでも後見人として実質上の当主とされています(そのため歴代当主に直虎は入っていません)。
ただし井伊谷城の「城主」として井伊谷を支配していたことはほぼまちがいないことから対象としました。直虎については次郎法師と別人説など諸説ありますが、ここでは井伊直盛の娘で、のちに出家して次郎法師と名乗った人物を採用しています。

戦国時代に活躍したそのほかの女性たち

城主ではなかったため対象外としましたが、以下の女性たちも歴史に名を残しています。

寿桂尼

寿桂尼は今川義元の母で「尼御台」と呼ばれた女性です。
彼女は夫である今川氏親の死去後、今川氏輝が14歳と若年であったため実質的な領主(おんな大名)として国務を取り仕切り、その後も今川氏における重要な役割をつとめました。
今回対象とすべきかはかなり悩んだのですが、寿桂尼は「おんな城主」とするにはスケールが大きすぎるので、対象外としました。

甲斐姫

忍城主・成田氏長の娘で、のちに豊臣秀吉の側室となった甲斐姫は、「小田原征伐」の際に留守を預かり、石田三成らの水攻めから守りきっています。この合戦の様子は「のぼうの城」として小説化、映画化されていますね。
この「忍城の戦い」では成田泰季が城代でしたが、籠城戦の最中に病死しています。その後は泰季の嫡男である成田長親が総大将として指揮しています。甲斐姫は自ら鎧兜を身にまとい、成田家に伝わる名刀「浪切」を携えて多くの敵将を討ち取ったとされます。ただし甲斐姫は実在性を疑問視する指摘もあります。

小松姫

小松姫.jpg

昨年の大河ドラマ「真田丸」にも登場したので有名となりましたが、本多忠勝の娘で真田信之の正室である小松姫は、信之の留守中の沼田城を預かっていました。
犬伏の別れ」で西軍について戦うことになった真田昌幸上田城に戻る途中に立ち寄ったところ、親子といえども敵味方となった以上、入城を許さなず、またそれを昌幸が賞賛したという逸話があります。しかしこのとき小松姫が沼田に居たかどうかは定かではなく、創作の可能性もあります。

妙印尼

金山城主・由良国繁の母、妙印尼(赤井輝子)は71歳にして、籠城戦を指揮して北条氏照の攻撃を撃退しています。1584年(天正12年)に北条氏が国繋、顕長兄弟を捕えて城主不在の金山城に攻め寄せると、軍勢を指揮して戦いました。
この6年後に起きた「小田原征伐」では国繁が小田原城に籠城していたため、自らは嫡孫である貞繁の後見人として参加し、松井田城主・大山寺政繁を攻める前田利家上杉景勝の北国軍に加勢しています。このとき利家から「まことに天晴れな後家である」と賞賛されています。その働きが豊臣秀吉に認められ、由良氏は存続を許されるとともに、牛久に5000石を与えられましたが、その朱印状には国繁ではなく妙印尼宛だったとされます。
なお甲斐姫はこの妙印尼の孫にあたります。

妙林尼

鶴崎城主・吉岡鑑興(鎮興)の妻である妙林尼(吉岡妙林、吉岡林子)は、鎮興が「耳川の戦い」で討ち死にしたため出家しています。
1586年(天正14年)に島津氏は豊後侵攻を開始し、鶴崎城も攻撃の対象となりました。当時の城主は鎮興の子である吉岡統増(甚橘)でしたが、このとき統増は大友宗麟に従って臼杵城に籠城していたため、妙林尼が籠城戦を指揮しています。妙林尼たちは計16度に及ぶ野村文綱ら島津軍の攻撃を退け、最終的には和睦することに成功しています。
なお妙林尼は豊臣秀吉による「九州征伐」の際に、薩摩に撤退する文綱らを泥酔させ、奇襲により63人を討ち取っています。文綱は負傷しながら逃げ延びるも、このときの傷が原因で亡くなっています。

最後に

時間をかけて調べたつもりですが、見落としがあるかもしれません。
もしほかにも「おんな城主」に含めるべき女性をご存じの方がいたら、ぜひ教えてください。

[20170907追記]
悩んだ結果、足利氏姫を追加しました。

   
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