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写真のない関西のお城を優先的に攻めていこうということで、今回は瀬田城と大溝城にいってきました。
瀬田城は「瀬田の唐橋」のすぐそばにあったお城で、「本能寺の変」で織田信長を討った明智光秀が安土城を攻めようとした際に、当時の城主である山岡景隆は橋を焼いて抵抗したそうです。
城跡には石碑があるだけなんですけど、ここは俵藤太の百足退治や『へうげもの』の古田織部など歴史的エピソード満載の唐橋を見るだけでも訪問する価値はあると思います。
今回はクルマを膳所城の近くに停めて、膳所神社や篠津神社など周辺の神社に移築された城門を見ながら、約4kmを1時間ほどかけて歩いたのですが、天気もよかったので汗だくになりました。
琵琶湖畔を歩いてるときは風もあって涼しいんですけどね。
でも城下町を歩くと、クランク状になった道がいまも残っていたり、当時の門跡の石碑があったりするので、けっこう楽しいんですよね。
さすがに戻るときは電車を使いました。京阪電鉄はのどかでいいですよね。
そこからは大津市歴史博物館に寄って、湖西道路を北上して高島市まで。
大溝城は信長の甥――というより信長に逆らって暗殺された弟・信行(信勝)の長男といったほうがいいかも――の織田信澄の城です。
天守台の石垣しか残ってませんが、じつは大溝城ってマイナーなわりに重要だった城なんですよね。
陸路で見ても北陸道(西近江路)と若狭街道の分岐点ですし、なにより信長が琵琶湖を制するために構築した安土城・坂本城・長浜城との湖城ネットワークの一角を占めていました。
当時は軍事的にも経済的にも琵琶湖の水運は重要視されていましたから、大溝城は水陸両面の要衝だったわけです。
ちなみに大溝城の外堀として利用された乙女ケ池はいまもあって、そこには雰囲気のある橋(太鼓橋)がかかっています。
さすがにこの橋は戦国時代のものではありませんが、テレビで見たことのある方もきっと多い橋です。
なんと『ごちそうさん』のロケに使われた橋なんです。
ぼくも現地ではぜんぜん気付かなかったんですけど(釣りをしてるおじさんがひとりいただけで閑散としてたし)、家に帰って橋の名前を調べていたら、ロケのことが出てきました。
たしかにいわれてみればこの橋でしたね。
あと、この大溝城は京極高次と初が暮らした城でもあります。
「ようこそ初の里、高島へ」という看板もありました。おそらく大河ドラマ『江〜姫たちの戦国〜』放送時につくったものなんでしょうね。
正直、いまのぼくには石垣だけの城を心底楽しめるだけの知識がないんですけど、ドラマのロケ地や舞台になったというきっかけで訪問してみて、そこから復習がてらいろいろ知識を増やしていくというのもいいなと思いました。
あ、ただし夏の訪問は草木が生い茂っていて写真を撮るのには向いてないですね。
青空はいいんですけど、石垣とかぜんぜん見えなかったです。
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