本多忠政 の検索結果:
…人物であることがわかったりもします。たとえば本多忠政・蒲生忠郷・京極忠高・加藤忠広・伊達忠宗など江戸時代初期の大名のほとんどに「忠」の字がついてますが、もちろんこれは2代将軍・徳川秀忠の偏諱によるもので、人名の情報量もなかなかのものですよね。 じつはこの将軍家の通字の話は編集でカットしたのですが、名前から縦のライン(=一族)と横のライン(=時の権力者)が見えてくる、ということを意識するとややこしい人名も少し興味が増してくるのではないでしょうか。 www.youtube.com
…田家を鳥取へと移し、本多忠政を配置している。さらに、周辺の明石や龍野も本多家と姻戚関係にある譜代大名で固めた。実際、姫路は西国の押さえとして最重要視されていた。代替わりなどで藩主が幼少になってしまった場合、その家を転封して本多家、奥平家、結城家、榊原家、酒井家といった有力かつ武断派の譜代大名を配置したほどである。 1619年(元和5年)、幕府は大坂を直轄地とする。同年、広島藩の福島正則が無断で城の石垣を修理したとして領地没収となり、浅野家がこれに代わることとなった。そして、空…