家康のことを倹約家――すなわち「ケチ」だと思っている方は多いのではないか。
実際にどうだったのかはよくわからない。このイメージは、主に江戸時代に語られた各種の逸話の影響によるものが大きいと思われるからだ。
ウェブ上では「譜代家臣たちに大きな所領を与えていないのは家康がケチだったからだ」などという主張も見られるが、これはどちらかというば政治上の問題だったのではないか(幕政を取り仕切る譜代大名の所領は小さくして独走・暴走を抑え、幕政にかかわらせない外様大名は所領を大きくして不満を持たせない)とも考えられる。
とはいえ、同時代やその少し後を生きた人々が、家康のことを倹約家と考えていたのは間違いない。
例えば、座敷で相撲をするということになった際、家康はわざわざ畳を裏返しにさせた。なぜかというと、表にしたままだと畳が痛むからである(『駿河土産』)。また、厩が壊れたから建て替えようと家臣に言われた際には「その方が馬が強くなるからやめろ」と言ったという(『明良洪範』)。
同時に、家康はただのケチではないと考えられていた。
好んで麦飯を食べている家康を見て、本当は贅沢がしたいのではないかと考えた家臣が見えないように米の飯を混ぜて出す、ということがあった。これに対して家康は家臣や百姓のために、またいざという時の戦費のために倹約をしているのであって、ケチでやっているわけではないのだ、と諭したという(『武将感状記』)。
これだけでなく、家康はお金や物の使い所についてはしっかりわきまえているというイメージがあったようだ。
同じく『武将感状記』に、家康が時の天下人である秀吉と茶を嗜んだ時のエピソードが収録されている。この頃のお茶といえば抹茶だから、茶会の前には茶を挽いて粉にしておかなければならない。
ところが、あらかじめ挽いておいた茶を家臣が飲んでしまった。そこで家康は新しく茶を挽かせようとするが、家臣は「余りを出せばいいのでは」と疑問に持つ。
しかし家康は「そのようなことでは正しい奉公はできないぞ」と叱ったという。秀吉という目上の人に対してはできることをきちんとやることが大事だと考えたのだろう。