最後は、「その他」と表現すべき各種エピソードについて紹介したい。
俗に「一夜城」と呼ばれる城がいくつかある。文字通り「一夜のうちに」完成してしまった城である――というが、これは誇張というもの。実際には、あまりにも短期間で出来上がった城が、「まるで一夜で完成したかのようだ」として伝説になった、と考えるべきのようだ。
そのような一夜城の中でも、特に有名なのが「墨俣一夜城」、美濃の墨俣城(岐阜県大垣市)で、築いたのは木下藤吉郎(豊臣秀吉)である。
そもそも以下に紹介する話自体が江戸時代の創作ではないかという説もあるが、城の跡自体は発見されているともいい、少なくとも「墨俣城跡的なものがあり、秀吉がそれを利用して短期間で作ったのでは」というのはそれなりに信憑性がありそうだ。
さて、この城が築かれた頃、秀吉が仕える織田信長は、美濃の斎藤氏との戦いを繰り広げていた。
そして、その中で懸念となっていたのが、長良川を始めいくつもの川が合流する美濃は墨俣の地に城を築くことであった。ここは交通の要所であり、かつ戦略上の用地でもあったが、それだけに斎藤方も警戒して妨害が激しく、柴田勝家など名だたる重臣が築城に失敗していた。
これに挑んだのが秀吉である。彼は川上交通で活躍する蜂須賀小六(はちすか ころく)ら近隣の野武士たちの協力を受けた上で、奇想天外な作戦に出た。普通ならば木材を現地に持ち込んだ上で工事をするところ、あらかじめ各種の部材に切り分けた木材を、小さいものは担いで運び、大きなものは筏にして川に流す、という手法をとったのだ。
現地に届いた木材はすぐさま組み立てられた。さすがに1日ではできないが、2~3日で工事は完成し、敵方を大いに驚かせたという。
この際完成した墨俣城についてはいろいろな説があるが、「城」といえるような規模ではなく、まずは周囲を取り囲む柵だけが完成していた、とする説をとるのが妥当であるように思える。
その柵に拠って敵を迎撃しつつ堀や土塁を築いて、小規模な城を作り上げた、というのがありそうな話ではないか。