1428年(正長元年) ○室町幕府 ×一揆
室町幕府を揺るがしたのは関東の勢力や南朝の残党ばかりではなかった。
足利義持の弟・足利義教(あしかが よしのり)が6代将軍になった1428年(正長元年)には正長の土一揆(しょうちょうのつちいっき)と呼ばれる大規模な事件が起きている。
一般に一揆というと民衆による武力反乱を想起するが、本来の意味でいう「一揆」とは強大な敵と戦うために中小勢力が作った集団のことである。幕府や守護に対抗するため、地侍や国人と呼ばれるような地付きの武士、あるいは農民たちが結集することを選んだのだ。
正長の土一揆の直接原因になったのは、この年の飢饉であった。飢えて年貢を払えなくなり、そのせいで酒屋・土倉といった高利貸したちへの借金が膨れ上がった農民たちが決起したのだ。彼らに馬借(ばしゃく)・車借(しゃしゃく)と呼ばれる運輸業に従事する人々が合流したことで、その武装反乱は近畿地方を中心に広範囲にわたって拡大することになったのである。
また、病気の流行や反幕府勢力の活動といった社会不安をあおる出来事の数々も、この事件が一気に拡大したことの一因といえるだろう。
一揆勢は高利貸しを襲って借金の証文を奪う一方で、徳政(とくせい=債務破棄)を要求した。
この年は先述のように将軍が代替わりをした年であり、また天皇も代替わりをしていたので、それを受けての要求であった。守護や寺社はこれに圧される形で徳政を発している。
結局翌年7月まで続いた正長の土一揆は非常に大規模なものであり、当時の史料には「日本始まって以来の土民による蜂起である」としているものさえある。
実際にはこれ以前にも同種の動きはあったのだが、そのような表現が出てくるほどに一揆の力は強く、その武力反乱は衝撃的なものだったのだろう。