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【クーデターで読み解く日本史】鎌倉幕府の弱体化が表面化した出来事――津軽大乱

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1322年(元亨2年)~1328年(嘉歴3年) △鎌倉幕府 △安藤氏

鎌倉時代、蝦夷を抑えるために北条氏の命で津軽へ派遣されていたのが安藤氏で、その役目は後世に「蝦夷管領(えぞかんれい)」と呼ばれた。彼らは東北の蝦夷だけでなく蝦夷ヶ島(北海道)のアイヌとも交流・交易があったとされる。
ところが、この一族の中で内紛が発生してしまい、それは蝦夷たちの反乱をも誘発して大きな動乱へと発展してしまった。津軽大乱である。

そもそもの始まりは安藤季長(あんどう すえなが)・季久(すえひさ)兄弟が家督をめぐって争ったことだった。
彼らは数年にわたって戦ったが決着がつかず、ことを重く見た幕府が裁決を試みたものの、当時大きな力を持っていた内管領(ないかんれい=北条得宗家の執事)の長崎高資(ながさき たかすけ)が賄賂目当てで双方にそれぞれ都合のいい裁定を伝えたため、むしろ問題はこじれてしまった。
それどころか、当事者二人が東北を留守にしている間に両勢力が蝦夷を巻き込んでの争いを激化させていく始末だ。

1322年(元亨2年)、幕府は討伐軍を派遣して安藤氏の内紛と蝦夷の反乱を抑え込もうとしたが、なかなかうまくいかなかった。この事件が和睦によって解決したのは1328年(嘉歴3年)のことである。
ここまでもめたということは、幕府と北条得宗家の力が衰え、その支配体制にほころびが生じていたことを示す一例と考えていいだろう。

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