日本のお城と言うと近世城郭(きんせいじょうかく)のことを指すことが多いですが、歴史はとても古く弥生時代(やよいじだい)にまでさかのぼります。
古代から城があったのです。
ではどんなお城だったのか?
今回は古代のお城について学んでいきましょう。
日本最古のお城
日本のお城の歴史はとても古く、弥生時代(やよいじだい)にまでさかのぼります。
現在最も古いと考えられているお城の一つは吉野ヶ里遺跡(よしのがりいせき)です。
昭和後半から発掘調査や整備復元が行われましたが、竪穴式住居(たてあなしきじゅうきょ)を深い空堀が囲い、要所要所には塀を半月形に張り出して、そこに物見やぐらが設けられています。
いわゆる環濠集落(かんごうしゅうらく)というものです。
環濠集落は日本全国で見つかっています。
弥生時代に集落間の抗争が激しく行われていて、敵から人々を守るためと考えられています。
朝鮮式山城(ちょうせんしきやまじろ)
九州から瀬戸内にかけて古代に作られた城があります。
それは百済(くだら)の人の技術によって築かれた城で、朝鮮式山城(ちょうせんしきやまじろ)と呼ばれています。
土塁や石垣が大きく一続きになっており、そのような城壁で谷や山などを取り囲んでいるのが特徴です。
これは663年頃に百済が滅亡して、百済から多くの人が日本に亡命してきたのが始まりとされています。
大野城(おおのき)や鬼ノ城(きのじょう)などが有名です。
中国を真似た都城
600年代後半から700年代前半になると、中国大陸の長安(ちょうあん)や洛陽(らくよう)などの古代都市をまねた都城(とじょう)という城が作られます。
藤原京(ふじわらきょう)や平城京(へいじょうきょう)などです。
藤原京は持統天皇8年(694年)に遷都(せんと)されました。
平城京は和銅3年(710年)に遷都されました。
中国では高く堅固な城壁で四方を囲っていましたが、日本の都城はそういうわけではないので、都市を守る城ではなかったのかもしれません。
古代城柵(こだいじょうさく)
同じく700年頃になると新潟県から東北地方にかけて数多くの城柵(じょうさく)が作られました。
これは大和朝廷によって作られたもので、東北地方や蝦夷(えぞ)の制圧のためと考えられています。
- 渟足柵(ぬたりのき)
- 出羽柵(でわのき)
- 秋田城(あきたじょう)
- 多賀城(たがじょう)
などが有名です。
敷地の中央に政庁の建物が置かれ、その周りを塀が四角く囲んでいました。
防御性はあまり高くなく、城というよりも武装化した政庁と呼んだ方が良いかもしれません。
まとめ
日本の城の歴史はとても古く、弥生時代にまでさかのぼります。
最も古いと考えられているのが環濠集落で、その後朝鮮式山城や都城、城柵などが中央集権によって作られるという構造でした。
そこから日本の城がどのように発展していたのかも注目されるところです。
ということで古代のお城についての話でした。
じゃあね🖐️
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