榎本秋の「戦国を彩る名軍師たち」
榎本秋先生による戦国時代を代表する名軍師を紹介するコラムです。
軍師は、軍中において君主や将軍の戦略指揮を助ける職務をつとめる顧問的な立場の者のことです。
日本ではとくに「軍師」という役職はなく、陰陽道の影響を受けた占星術、易などの占術を学び、合戦における縁起担ぎを取り計らう軍配者がその位置にあったとされます。
「軍師」という役職は江戸時代に入り、戦国大名が戦場で用いた戦法を研究する学問として軍学が生まれた結果、軍学者によって当時の軍配者が称賛され、また戦国時代の合戦を取り上げた軍記物が出版される中で彼らが名参謀として描かれていく中で、一般に広まっていったようです。
著名な軍師としては、武田信玄に仕えた山本勘助、上杉謙信に仕えた宇佐美定行、今川義元に仕えた太原雪斎、大友宗麟に仕えた立花道雪、豊臣秀吉に仕えた竹中半兵衛や黒田官兵衛などが挙げられます。
このコラムでは彼らひとり一人の生涯にスポットをあて、どのように主君を助け、また自らの立身出世を目指したのかを紹介していきます。
大河ドラマ「真田丸」の主人公として広く世間に知られるようになった真田信繁ですが、どんなに有能であっても肩書きがなければ軽視されるのは現代と同じですね。
上杉家の家老として知られる直江兼続は内政・軍事ともにオールマイティな軍師でした。
江戸時代初期、徳川家康の側近として朝廷政策・宗教政策に深く関与した南光坊天海は出自が不明で、足利将軍の落胤説や明智光秀の生き残り説などいろいろあります。
真言宗の僧である応其は、豊臣秀吉の外交交渉を担当する使僧として島津氏との和睦交渉などに尽力し、さらに高野山の再興にあたりました。
川田義朗は島津義久の軍配者として、「耳川の戦い」など数々の戦の勝ち鬨を上げる奏者をつとめた人物です。
太田道灌というと「享徳の乱」や「長尾景春の乱」で八面六臂の活躍をしたので軍事の天才の印象が強いですが、それだけでなく学者としても一流だったようですね。
「治部少(三成)に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城」と謳われた島左近は「関ヶ原の戦い」で討死したとされますが、生き延びた説もあるようですね。
沢彦というと「岐阜」の命名者として知られていますが、「天下布武」というスローガンの発案者でもあります。
今川義元、徳川家康という才能を育て、武田信玄、北条氏康という大大名とわたりあい「甲相駿三国同盟」を成立させた太原雪斎はもっともスケールの大きい軍師かもしれませんね。
毛利氏に仕えた使僧(外交僧)で、その後は豊臣政権の中枢で活躍した安国寺恵瓊を紹介します。
「関ヶ原の戦い」の際、徳川家康の陣中に随行して合戦日時の吉凶を占った、閑室元佶というお坊さんも立派な軍師なのです。
大友宗麟に仕えた、知る人ぞ知る名軍師、角隈石宗をご紹介します。
蜂須賀小六というとなんとなく毛むくじゃらで大柄なおじさんのイメージがありますが、調略などを担当する外交官としてかなり優秀だったようですね。
徳川家康と本多正信の関係はまさに「水魚の交わり」といった感じですね。「真田丸」のシーンが浮かびます。
伊達政宗の右腕、片倉小十郎の通称で知られる片倉景綱がいなければ政宗の躍進はなかったでしょうね。
竹中半兵衛と並ぶ「秀吉の両兵衛」、黒田官兵衛は大河ドラマにもなったので有名ですね。
戦国時代における天才軍師というと、おそらくナンバーワンの人気を誇るのがこの竹中半兵衛ではないでしょうか。
武田信玄の軍師をつとめた山本勘助は誰もが名前を知りながら、謎の多い人物でもあります。