榎本秋の「城に歴史あり!」
榎本秋先生による全国のお城にまつわるエピソードを紹介するコラムです。
この連載ではとくに「合戦」について書いていただいています。
攻城団では全国各地にあるお城をいろんな切り口で紹介していますが、今回はその城で起きた合戦エピソードを切り口にしました。必ずしもメジャーなお城ばかりではありませんが、それもまた戦国時代という全国各地で合戦がおこなわれた時代のダイナミズムを感じられると思いますので、楽しんでください。
第2シーズン最終回は人吉城です。相良氏にこんな内紛があったことは知りませんでした。この時代、親兄弟でも対立することは珍しくなかったとはいえ、バトルロイヤルみたいな展開ですね。
田辺城は京都にあるといっても日本海側なので、西軍は気にせず大津城を落としておけばなんの問題もなかったはずなんですけどね。そもそも500しか兵がいなかった情報をつかめてない時点でどうなのかと。
丸亀城の人柱伝説、とくに「裸重三」のほうは現地にも案内がありましたが、石垣をのぼることなんて石工じゃなくてもできるだろうと不思議に思っていました。生駒正俊が一国一城令の際に幕府の目をごまかして存続させたという話の真相も気になります。
掛川城というと山内一豊の居城のイメージが強いですが、もともとは朝比奈氏の城なんですよね。ちなみにその当時の城は掛川古城と呼ばれていて、いまの掛川城からは少しだけ離れた場所にあります。
湯築城は戦国大名・河野氏の居城ということもあり、気になるお城ランキングで常に上位にいます。資料館のみなさんの対応が素晴らしくて、訪問した方はみんな褒めてますね。
原城は「島原の乱」で3万7千人の一揆勢が立てこもった城として知られています。一気としては日本の歴史上最大規模となります。島原藩主・松倉勝家は責任を問われて改易、のちに斬首となりましたが、江戸時代に大名が切腹ではなく斬首を命じられた唯一のケー…
新発田城というと3匹のシャチホコが載った復元三重櫓が有名ですが、もともとは上杉景勝に反乱を起こした新発田重家の居城でした。もし「本能寺の変」が起きてなければ、上杉家は滅んでいたかもしれませんね。
金沢城は加賀百万石、前田家のイメージが強いですが、その前は「百姓の持ちたる国」と言われ、本願寺勢力が支配する土地でした。佐久間盛政が初代城主をつとめたのですが、統治は容易ではなかったでしょうね。
岩村城といえば女城主・おつやの方ですが、彼女は織田信長の叔母にあたるものの年齢は信長のほうが10歳年上だったようです。敵将・秋山虎繁との結婚はユニークなエピソードとしてよくクイズにもなりますね。
佐賀城は龍造寺氏、そして鍋島氏の居城です。もともと龍造寺氏の家臣であった鍋島氏が城主に取って代わったわけですが、単によくある下剋上ではなく、両者はもう少し複雑な関係となっています。
八王子城は北条氏康の三男である氏照によって築かれた城ですが、関東の城でありながら石垣も多く見られる巨大な山城です。城域があまりに広大であったため、未完成だった可能性もあるとか。
城址はどこも哀愁を感じさせますが、なかでも小谷城は格別です。自害した浅井長政だけでなく、生き延びたお市の方と三姉妹のその後の運命があまりにドラマティックだからでしょうか。
「関ヶ原の戦い」の際は「九州の関ヶ原」や「東北の関ヶ原」など全国各地で家康陣営と三成陣営が戦っていましたが、この長谷堂城を巡る攻防が「東北の関ヶ原」と呼ばれています。
七尾城は訪問した人の満足度が高い名城ですが、上杉謙信を撃退し、のちに攻め落とされたという歴史がその価値をさらに高めている気がします。
鉢形城というと北条氏邦が城主のイメージが強いですが、それより前に長尾景春がこの城を拠点に太田道灌と戦っています。
小諸城は「天正壬午の乱」の幕開けともなった城です。北条家に敗れた関東御取次役・滝川一益がこの城から伊勢に逃げ帰ったため、支配者不在となり、徳川家や真田家を巻き込んだ争乱がはじまりました。
今回は「鳥取の飢え殺し」の舞台となった鳥取城の話です。米を事前に買い占めるなど、三木城攻めの教訓が活かされているという点は秀吉(と黒田官兵衛)の戦巧者ぶりがよく表れているエピソードですね。
「長篠の戦い」は武田勝頼に包囲された長篠城を救援することがきっかけでした。勝頼は長篠城をおとりに使ったのか、あるいは織田信長と徳川家康があえてその誘いに乗ったのかは謎ですが、この合戦では磔にされた鳥居強右衛門のエピソードも有名ですね。
今回は(岐阜城になる前の)稲葉山城にまつわる話です。竹中半兵衛がもし病死していなければ日本の歴史は変わっていたかもしれませんね。
今回紹介するのは浜松城です。「三方ヶ原の戦い」という徳川家康にとって忘れられない負け戦の舞台にもなっていますが、ここから家康が天下人になったこともあり、江戸時代には「出世城」とも呼ばれていますね。
「のぼうの城」で一躍有名になった忍城ですが、成田氏長の娘・甲斐姫が豊臣秀吉の側室となったことで成田氏が存続したという話は意外と知られていないかもしれませんね。
今回は「瓶割り柴田」の異名が生まれたとされる長光寺城を舞台にしたコラムです。
植田城ってけっして有名なお城ではないんですけど、秀吉の軍師であった黒田官兵衛が長宗我部元親の策略を見抜いた頭脳戦の舞台となったお城です。
「関ケ原の戦い」の裏で伊勢の安濃津城でも合戦がおこなわれていたことをご存知ですか。しかも姫武者の伝説があるんです。
新年最初のコラムは大津城がテーマです。「関ヶ原の戦い」の前哨戦として知られる「大津城の戦い」の舞台となった城ですね。
今回の舞台は秀吉が立身出世の足がかりとしたとされる墨俣城です。その存在や規模については諸説あるものの、現在城址付近にある模擬天守はとても立派ですね。
今回の舞台は歴史に名高い水攻めがおこなわれたことで知られる備中高松城です。官兵衛と秀吉のコンビは築城と攻城の両面において画期的でしたよね。
今回紹介するのは福島県の二本松城です。戊辰戦争のエピソードが有名ですが、ここは伊達政宗の父・輝宗の弔い合戦の舞台でもあります。
第3回の舞台は上田城です。二度にわたる、真田氏と徳川氏による籠城戦の舞台となった城ですね。
今回は「三木の干殺し」の舞台となった三木城の話です。この合戦は中国方面軍の司令官に抜擢された秀吉にとって最大のピンチだったかもしれません。