2020-01-01から1年間の記事一覧
藩主の一門と家老たち重臣はたびたび衝突しましたが、なかでも人吉藩・相良家で起きた「竹鉄砲事件」は藩主の暗殺を家老が隠蔽するというひどいものでした。結果として、相良家の血統は断絶してしまうことになります。
今回は北海道にあるチャシについての解説です。アイヌ民族の城とされますが、じっさいには戦うための場所だけでなく、祭祀をおこなう聖域でもあったようです。
戦国時代には日本各地で行われた合戦のうち、最大規模はどの合戦だと思いますか?
小姓上がりの家老が専横を極めるというのはわりとよく聞く話ですが、磐城平藩内藤家の家老・松賀族之助が起こした一連の騒動はかなり度を超えていたようですね。
今回は白い城と黒い城についての解説です。あくまでも防火・防腐技術のちがいなのですが、いまでもテレビでは黒=豊臣系、城=徳川系と紹介されることが多いですね。でも秀吉の聚楽第や名護屋城も白い天守だった説があるんですよ。
高島城で販売されている記念誌「諏訪の浮城 高島城すべて」を諏訪地域振興局さんから献本していただきました。
徳川四天王の筆頭・酒井忠次の孫であり、酒井忠勝の弟にあたる忠重はなかなかエキセントリックな人物だったようで、主家の乗っ取りを画策しました。その後、2万両の手切れ金で追い出されたものの何者かに襲われて殺されています。
今回は城下町についての解説です。近世城郭では必ず城下町がつくられたそうですが、そういう意味では二条城は異質な存在ですね。京都のお城は聚楽第とかもそうですが、町が先にあってそこにお城をつくる珍しいパターンなのかもしれません。
正親町天皇は後奈良天皇の子で、後陽成天皇の祖父にあたります。幼い頃の伊呂波太夫が温石をもらった相手です。この当時の朝廷はとにかく困窮しており、即位の礼にかかる費用も大名からの献納に頼るしかなかったそうです。正親町天皇の場合は毛利元就がお金…
長家といえば元畠山家の家臣で、能登が信長の支配下となった際に信長から直接領地を与えられていたこともあり、前田家としても手を出しづらかったようです。そんな状況下で起きたのが浦野事件でした。
今回はお城につくられた庭園についての解説です。大名庭園には記事中で紹介されている後楽園や兼六園のように城の外につくられた「城外庭園」と、二条城のように敷地内につくられた「城内庭園」があります。面積の差が最大のちがいですが、それによって城内…
在地領主のまま大名として存続した大名家のひとつに大村藩・大村家がありますが、秀吉そして家康に重要な収入源の長崎港を奪われたため、財政難におちいっていました。その解決策として一族の領地を召し上げるというのは幕府との事前交渉なしには実現不可能…
今回は横矢(よこや)についての解説です。まさか横矢だけで一本の解説が書けるとは思いませんでしたが、たしかにいろんな横矢の仕掛けがあるんですね。死角をなくし、効率的に攻撃する工夫はすごいと思います。
桐紋というと豊臣秀吉が有名ですが、じつは五三の桐、五七の桐以外に、九七の桐とか五五の桐とかのバリエーションがあったことをご存知でした?
右腕となる有能な部下にトップの座を奪われるというのは現代でも企業や政治のなかで見られますが、状況が変わったからとはいえ勝手な都合で排除される部下にしてみればたまったものではないですよね。
今回は馬出しについての解説です。石垣のお城は西日本に多いのですが、馬出しにかぎっては東日本のお城に多いですね。武田氏は丸馬出し、北条氏は角馬出しが多かったようです。
摂津晴門がつとめた政所執事というのはもともと伊勢氏が世襲していたのですが、足利義輝が三好長慶と結んで伊勢貞孝を更迭して起用したのが晴門です。財政と領地に関する訴訟を扱う政所の長官として絶大な権力を持っていたため、どうしても腐敗の温床になり…
大谷吉継といえば人気武将のひとりですが、彼が敦賀2万石(のちに加増され5万石)の大名となったとき、断絶した前城主・蜂屋頼隆の家臣を引き継いだそうです。居抜きで大名となった珍しい例ですね。
姫路城バーチャルツアーの申し込み手順について、画面を使って解説しました。サイトへの登録が必要なのでちょっと面倒ですが、それだけの価値があるイベントだと思うのでぜひがんばって申し込んでください。
今回は枡形虎口についての解説です。ほとんどの枡形虎口は最初の門をくぐると90度曲がった方向に次の門がありますが、松本城や赤穂城では右斜め前方に二の門がありますよね。あれはどういう意図なんでしょう。
戦国時代、江戸時代に出世するにはまずもって本人の実力が必要なのですが、それ以上に運も重要です。有馬豊氏は名門の血筋でありつつ、さらに大きな運も持っていたようですね。
今回は虎口についての解説です。二条城の本丸では内枡形と外枡形、両方の枡形虎口を見ることができます。それにしてもたかまる。さんの説明イラストはとてもわかりやすいですね。
佐賀城にいくとこの「化け猫(猫化け)騒動」についてガイドさんが話してくれます。話を聞くかぎり、理不尽に恨まれた鍋島家はかわいそうだなと思うのですが、歌舞伎の題材になるほど広まるとは誰も思わなかったでしょうね。
今回は石垣の反りと勾配についての解説です。慶長期に石垣の技術が急速に発展するのは「関ヶ原の戦い」の論功行賞によって大大名が誕生した=巨城を築く機会が増えたのと、天下普請によって他家の技術を習得できたからだそうですね。
三好長慶の死後、三好家の実権を握った三好長逸ら三人衆は足利義輝を殺害しただけでなく、本國寺を仮御所としていた義昭の殺害も計画します。それを救ったのが明智光秀でした。また信長はこれを機に義昭のために二条城を築城しました。
お家騒動のパターンのひとつに、「主家異動パターン」があります。もっとも有名なのは龍造寺氏と藩主の座を交代した鍋島騒動ですが、ほかにも例があるそうです。
仙台藩主・伊達吉村の出生地、宮城県大和町にある「竹亭 大和別邸」をマンガでご紹介します。
今回は石垣の仕上げ(表面加工)についての解説です。「はつり」という言葉を聞いたことがありますか? 最初は風化や火災の被害かと思ったのですが、職人さんの美意識だと知ったときはびっくりしました。ついついさわっちゃいますよね。
現在、東京国立博物館で開催されている特別展「桃山―天下人の100年」に行ってきました。超満足のイベントなので歴史好きなら全員にオススメしたいです。
伊達政宗の孫・綱宗の時代に起きたのが有名な伊達騒動です。綱宗はかなり破天荒な藩主だったようですが、彼が隠居したあとの権力争いが刃傷沙汰にまで発展してしまします。