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新車に乗り換えました。
今回も長距離移動も、山城を駆け上がるパワーも、城下町をすり抜けるコンパクトさもある車を選んだつもりです。(なので後部座席にたまに乗る人には申し訳ない)
ただまだ新車なので無理な山道は控えつつ秋からの山城シーズンに備えて慣らしていきたいと思います。

ps:自分のカメラにはGPSがついていないので写真の撮影位置は手入力です。ですので誤差や記憶違いでの間違いがあるのでご勘弁を。

きゃみさんさんのタイムライン

きゃみさんさん が  吉田郡山城(広島県安芸高田市) の写真をアップしました(2024-03-30)

本城
本城

旧本城本丸にて

きゃみさんさん が  吉田郡山城(広島県安芸高田市) の写真をアップしました(2024-03-30)

旧本城本丸下段と上段
旧本城本丸下段と上段

きゃみさんさん が  吉田郡山城(広島県安芸高田市) の写真をアップしました(2024-03-30)

旧本城本丸北側切岸
旧本城本丸北側切岸

尼子氏が毛利氏を攻めた吉田郡山城の戦い(郡山合戦)時の時は郡山城の城域はここから先の旧本城だけでした。
旧本城は毛利氏の城郭でよく見かける、最高所の本丸の端に土塁を設け、高い切岸を補強して後堅固にしています。

きゃみさんさん が  吉田郡山城(広島県安芸高田市) の写真をアップしました(2024-03-30)

旧本城本丸北側切岸
旧本城本丸北側切岸

尼子氏が毛利氏を攻めた吉田郡山城の戦い(郡山合戦)時の時は郡山城の城域はここから先の旧本城だけでした。
旧本城は毛利氏の城郭でよく見かける、最高所の本丸の端に土塁を設け、高い切岸を補強して後堅固にしています。

きゃみさんさん が  吉田郡山城(広島県安芸高田市) の写真をアップしました(2024-03-30)

旧本城と尾崎丸間の二重堀切(旧本城側から)
旧本城と尾崎丸間の二重堀切(旧本城側から)

尾崎丸から尾根を下って行くと旧本城に至ります。
その尾根の旧本城近くには浅いですが二重堀切(南側の尾根にある竪堀を加えると三重)が残っています。

きゃみさんさん が  吉田郡山城(広島県安芸高田市) の写真をアップしました(2024-03-30)

旧本城と尾崎丸間の二重堀切(尾崎丸側から)
旧本城と尾崎丸間の二重堀切(尾崎丸側から)

尾崎丸から尾根を下って行くと旧本城に至ります。
その尾根の旧本城近くには浅いですが二重堀切(南側の尾根にある竪堀を加えると三重)が残っています。

きゃみさんさん が  岡山城(岡山県岡山市) の写真をアップしました(2024-03-20)

新鶴見橋より
新鶴見橋より

きゃみさんさん が  岡山城(岡山県岡山市) の写真をアップしました(2024-03-20)

伊勢宮口門跡(外堀北端)付近からみた本丸
伊勢宮口門跡(外堀北端)付近からみた本丸

伊勢宮口門跡・外堀北端
慶長6年(1601)、岡山城の城主であった小早川秀秋が城郭の北・西・南端を囲む「二十日堀(外堀)」と共に築いた5箇所の門のうち、外堀北端の堀端に設けられた最北部の門です。伊勢宮口門からは下級家臣や軽輩の屋敷地が並ぶ番町武家屋敷や伊勢宮、町人地である上出石町、津山往来方面に出られました。
その後、明治15年(1882)、明治政府の廃城令によって本門は破却されました。

きゃみさんさん が  岡山城(岡山県岡山市) の写真をアップしました(2024-03-20)

外堀跡(北側)・伊勢宮口門跡付近から
外堀跡(北側)・伊勢宮口門跡付近から

岡山城は西側を五つの堀(本丸を囲む内堀・二之丸を囲む内堀・二之丸(外郭)を囲む内堀・三之曲輪を囲む中堀・三之外曲輪を囲む外堀)で守っています。
外堀の北側は県道402号になっていおり、あとは基本的に柳川筋を南下していきます。

きゃみさんさん が  岡山城(岡山県岡山市) の写真をアップしました(2024-03-20)

弓之町
弓之町

三之外曲輪にあった侍町です。

きゃみさんさん が  岡山城(岡山県岡山市) の写真をアップしました(2024-03-20)

中堀跡(天神山西側)
中堀跡(天神山西側)

中堀を挟んで東側が三之曲輪、西側が三之外曲輪になります。

きゃみさんさん が  岡山城(岡山県岡山市) の写真をアップしました(2024-03-20)

中堀跡
中堀跡

きゃみさんさん が  岡山城(岡山県岡山市) の写真をアップしました(2024-03-20)

中堀跡の石垣(天神山)
中堀跡の石垣(天神山)

岡山城を形成するみっつの丘陵の一つ天神山を囲むように中堀がありました。
現在は中堀は埋め立てられ、天神山は戦前には県庁、現在は天神山文化プラザが建っています。

きゃみさんさん が  岡山城(岡山県岡山市) の写真をアップしました(2024-03-20)

中堀跡の石垣(天神山)
中堀跡の石垣(天神山)

岡山城を形成するみっつの丘陵の一つ天神山を囲むように中堀がありました。
現在は中堀は埋め立てられ、天神山は戦前には県庁、現在は天神山文化プラザが建っています。

きゃみさんさん が  岡山城(岡山県岡山市) の写真をアップしました(2024-03-20)

中堀跡の石垣(天神山)
中堀跡の石垣(天神山)

岡山城を形成するみっつの丘陵の一つ天神山を囲むように中堀がありました。
現在は中堀は埋め立てられ、天神山は戦前には県庁、現在は天神山文化プラザが建っています。

きゃみさんさん が  岡山城(岡山県岡山市) の写真をアップしました(2024-03-20)

中堀跡の石垣(天神山)
中堀跡の石垣(天神山)

岡山城を形成するみっつの丘陵の一つ天神山を囲むように中堀がありました。
現在は中堀は埋め立てられ、天神山は戦前には県庁、現在は天神山文化プラザが建っています。

きゃみさんさん が  岡山城(岡山県岡山市) を攻城しました(2024-03-20)

きゃみさんさん が  坂本城(滋賀県大津市) の写真をアップしました(2024-03-18)

光秀(とび太くん)
光秀(とび太くん)

西教寺・明智光秀公と一族の墓前にて。
とび太くんは「飛び出し注意」の看板で滋賀県発祥らしく、滋賀では色んなとび太くんを見ることができます。

きゃみさんさん が  彦根城(滋賀県彦根市) の写真をアップしました(2024-03-17)

井伊直政公(とび太くん)
井伊直政公(とび太くん)

彦根城表門橋にて。
とび太くんは「飛び出し注意」の看板で滋賀県発祥らしく、滋賀では色んなとび太くんを見ることができます。
兜の飾りが前立ではなく脇立なのは井伊家当主の証です。

きゃみさんさん が  彦根城(滋賀県彦根市) の写真をアップしました(2024-03-11)

佐和口多聞櫓内部(城内側)
佐和口多聞櫓内部(城内側)

佐和口多聞櫓の壁には3本の貫(横向きの柱)が通っており、その上にも土壁が塗り込まれているため城内側の壁は波打っているように見えます。
一方城外側の壁は防弾のため二重の土壁となっており上部以外は柱が見えないほどの厚い壁になっています。

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今日のレビュー

戦国の終わりを告げた城―八王子城を探る (ロッコウブックス)

おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。

赤ヱ門さん)

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