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城郭建造物が現存・移築・復元・復興・模擬を問わず大好きです。

ごましおさんのタイムライン

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ごましおさん が  犬山城(愛知県犬山市) の写真をアップしました(2024-10-05)

松の丸裏門(常満寺)
松の丸裏門(常満寺)
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ごましおさん が  犬山城(愛知県犬山市) の写真をアップしました(2024-10-05)

天守4階
天守4階
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ごましおさん が  犬山城(愛知県犬山市) の写真をアップしました(2024-10-05)

天守3階
天守3階
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ごましおさん が  犬山城(愛知県犬山市) の写真をアップしました(2024-10-05)

天守1階
天守1階
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ごましおさん が  犬山城(愛知県犬山市) の写真をアップしました(2024-10-05)

天守穴蔵
天守穴蔵
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ごましおさん が 書籍新発見! 江戸城を歩く (祥伝社新書) 」にレビューを投稿しました(2024-09-21)

江戸城を実際に歩いて攻城したい人向けの本のようです。
徒歩で3時間かけて「3-1 九段下から東京 3.4キロ」コースにチャレンジしてみましたが、かなり詳しく攻城ルートが書かれており非常に参考になりました。江戸城の痕跡を隅々までしゃぶり尽くすというような感じの本です。
一例をあげると、上記コースの場合、本に書いてある首都高神田橋ランプ下の石垣は言われないとなかなか気が付かないのではないかと思いました。
なお、5年前に発行された本なので情報が古くなっている箇所が若干あります。例えば上記コースの場合、本では常磐橋が工事中で橋を渡れないことになっていますが、現在は工事完了していて橋を渡ってからそのまま常盤橋門跡を攻城することが可能になっています。また、広報千代田によれば、一部を除き、常磐橋に使われている石は小石川門の石垣の再利用だったことが工事中に判明したそうですが、これも本の発行後に判明した情報と思われます。
結論としては、古くなった情報が若干あるものの全コース制覇にチャレンジしたいと思わせる魅力を持った、有用な本であると思いました。

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ごましおさん がイベント「攻城団ツアーズ・城たび〈黒田涼さんとめぐる江戸城ガイドツアー〉 」に参加表明しました(2024-09-21)

イベント初参加です。よろしくお願いします。

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ごましおさん が最近のひとことを更新しました(2024-09-15)

以前に購入した御城印繋がりで東京都青梅市にある辛垣城攻城を考えていたのですが、この暑さでは辛垣城まで到達できる自信がないので断念し、比較的攻城しやすいと思われる同じ青梅市の日向和田要害山城攻城に切り替えました。
日向和田要害山城は2023年に当時、武蔵高等学校1年の田中俊輔氏が発見したお城です。田中氏は少なくとも2本の日向和田要害山城関連の論文を発表しており、うち1本は「16世紀甲武”境目”地域における道と城郭」でGoogle検索することで無料のPDFがダウンロード可能です(2024年9月15日時点)。この論文には日向和田要害山城の縄張図も掲載されています。最近の高校生は大人の研究者顔負けですね。
さて田中氏が描いた縄張図を含む2本の論文を手に攻城しましたが、私的な一番の見所は城の右端の大きな堀切でした(写真)。日向和田要害山城の御城印も堀切の写真ですね。なお、日向和田要害山城は石灰採掘により山頂部分が大きく削られているようです。
日向和田要害山城攻城後に青梅駅から徒歩10分のところにある梅菓匠にしむらで日向和田要害山城の御城印と梅大福2種とカリカリ梅酒梅を買ってから家路に着きました。

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ごましおさん が最近のひとことを更新しました(2024-08-10)

8/10(土)に東京都武蔵村山市にある武蔵村山観光案内所で、辛垣城の新作御城印「員野半四郎 武将印セット」を購入しました。熱い想いで員野半四郎を紹介した紙もついてきます。員野半四郎は地元なのに初めて聞く名前でしたが、慶長17年(1612)に三田氏の家臣だった谷合太郎重久信によって書かれた「日記(谷合家文書)」の北条氏照による三田氏辛垣城攻めの中で次のように描かれています。「(前略)員野半四郎ト云者村山之地頭也、案内者故赤出立ニテ真先ニ上ルヲ鉄砲ニテ打ヲトサル、此鉄砲者伊勢之竜太夫三田殿江一挺進上申也(後略)」。北条氏照の辛垣城攻めは永禄4〜6年(1561〜1563)頃ということを考えると関東の戦国大名未満の三田氏がこの時期に鉄砲を一挺持っていて、かつ実戦で使用したというのはびっくりです。「日記(谷合家文書)」の辛垣城攻めに北条方として登場する人物は、北条氏照、員野半四郎、塚田又八(三田方から寝返る)しかいないので員野半四郎はかなり目立っていたのかも知れません。三田氏が鉄砲を持っていたことを自慢したかっただけかも知れませんが。また「定本市史青梅」には次のように記述されています。「よもや三田勢に新兵器の鉄砲はあるまいと、村山の地頭員野が、赤いでたちで先登に勇み立って登ってきたところを、一発で打ち落とされたという記録は面白い」。ちょっと員野半四郎に失礼な記述ですね。涼しくなったら赤い服を着て、辛垣城を攻城したくなりました。なお、観光案内所は8/11~8/15まで夏期休暇だそうです。

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ごましおさん がコレクション「 辛垣城 御城印 員野半四郎 武将印セット 」にコメントしました(2024-08-10)

8/10(土)に武蔵村山観光案内所で、辛垣城の新作御城印「員野半四郎 武将印セット」を購入しました。なお、観光案内所は8/11~8/15まで夏期休暇だそうです。員野半四郎は北条氏照の辛垣城攻めに参加した村山の地頭ですが、残念ながらその戦いの時に鉄砲で打ち落とされたそうです。

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ごましおさん が最近のひとことを更新しました(2024-07-14)

7/14(日)14:00-15:50に第32回歴史講演会「平安時代の鹿島 -古代から武士の時代へ-」(主催:公益財団法人鹿嶋市文化スポーツ振興事業団、講師:川尻秋生 早稲田大学文学学術院教授)をオンライン聴講しました。夏は暑いので現地まで行かないで講演会に参加できるのは大変ありがたいです。テーマとしては大きく二つありました。①10世紀の内乱と鹿島②鹿島使 の2つです。両方とも面白かったので簡単に紹介します。①について。平将門の乱の遠因となる常陸国府焼き討ちについて、当初は人助けのための仲裁のために常陸国府へ向かったところ仲裁相手が攻めかかってきたのでなりゆきで戦ったらしいとの説明でした。だいぶ平将門に好意的な見方でしょうか。なお、常陸国府は7世紀から続いた国府で現在は石岡小学校の下に埋まっているらしいです(常陸府中城があるところです)。その後、平将門の乱鎮圧に功績のあった氏族が台頭していき、その中で清和源氏の源頼信配下の平維幹が常陸大掾氏の祖となっていったそうです。その常陸大掾氏の末流が鹿嶋氏だとか。②について。奈良の春日大社の祭神は鹿島神社(茨城県)・香取神社(千葉県)・牧岡神社(大阪府)の神を勧請したものだそうです。その縁でか、春日大社が春日祭を行うために、神封(神社に対しての租税・労役の提供を行う集団)を持たない春日大社の代わりに鹿島神社と香取神社の神封で賄っていたそうです。鹿島使は鹿島・香取使とも呼ばれ、鹿島神社・香取神社へ使者を派遣することで、例外的に鎌倉初期まで続いたとのこと。定期的には春日祭を行う前に鹿島神社の神と香取神社の神に感謝を伝える使者を派遣したのではないか、不定期的には藤原摂関家が自己の目的の成就祈願のために両神社に使者を派遣したのではないかとのことです。平安時代のことをほとんど知らなかったので、とても勉強になりました。

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ごましおさん が  土浦城(茨城県土浦市) の写真をアップしました(2024-06-09)

北門跡
北門跡
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ごましおさん が  土浦城(茨城県土浦市) の写真をアップしました(2024-06-09)

搦手門跡
搦手門跡
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ごましおさん が  土浦城(茨城県土浦市) の写真をアップしました(2024-06-09)

大手門跡
大手門跡
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ごましおさん が  土浦城(茨城県土浦市) の写真をアップしました(2024-06-09)

銭亀橋跡
銭亀橋跡
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ごましおさん が  土浦城(茨城県土浦市) の写真をアップしました(2024-06-09)

南門跡
南門跡
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ごましおさん が  土浦城(茨城県土浦市) の写真をアップしました(2024-06-09)

西門跡
西門跡
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ごましおさん が  土浦城(茨城県土浦市) の写真をアップしました(2024-06-09)

土浦藩校 郁文館 正門
土浦藩校 郁文館 正門
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ごましおさん が  土浦城(茨城県土浦市) の写真をアップしました(2024-06-09)

櫓門の櫓部分への入口?
櫓門の櫓部分への入口?
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ごましおさん が  土浦城(茨城県土浦市) の写真をアップしました(2024-06-09)

東櫓内部
東櫓内部
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今日のレビュー

戦国の城の一生: つくる・壊す・蘇る (歴史文化ライブラリー)

戦国時代の城が築かれてからその役目を終えて廃城になるまでの「城の一生」を、文献史料を丹念に読み解いて探る一冊。築城の仕方、日々の使われ方や維持管理、不要になったときの処理の仕方、使われなくなった城の再利用まで、決して多く残されている訳ではない史料の中から浮かび上がってきて、攻城戦や縄張りだけではないお城の魅力を引き出してくれる。「城掟」から読み解く城のメンテナンスや警備、城兵に課せられた禁止事項などが興味深い。

こめつぶさん)

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